大量殺人事件は近代と現代との境界線で起きた!! 真相を闇に葬る“村社会”への挑戦状『眠る村』
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本作の監修を務める門脇康郎初代ディレクターが手掛けた問題作『証言』の後、しばらく空白期間が続いた東海テレビだったが、アナウンサー出身の阿武野勝彦プロデューサーが2002(平成14)年から報道部長となり、ドキュメンタリーチームを率いることに。齊藤潤一第2代ディレクターの『重い扉~名張毒ぶどう酒事件の45年~』『黒と白~自白・名張毒ぶどう酒事件の闇~』『毒とひまわり~名張毒ぶどう酒事件の半世紀~』と奥西さんの冤罪性を訴えるドキュメンタリー番組を隔年ペースでオンエア。齊藤ディレクターが演出し、仲代達矢や樹木希林ら名優たちが出演したドキュメンタリードラマ『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』(13)と、鎌田麗香第3代ディレクターの初ドキュメンタリー作品『ふたりの死刑囚』(16)は劇場公開され、地元エリア以外の人たちに強烈なインパクトを与えた。
劇場公開され、異例のヒット作となった『死刑弁護人』(12)や『ヤクザと憲法』(15)、さらには『人生フルーツ』(16)など、テレビドキュメンタリーの概念を覆す異色作を次々と放つ阿武野プロデューサーに、ここでご登場願おう。
「これまで東海テレビでは、初代の門脇から齊藤、鎌田と3人のディレクターがバトンを繋ぐ形で、名張毒ぶどう酒事件を追ってきました。3人は無罪を勝ち取った奥西さんが拘置所から出たところをインタビューしたいと、その一念でずっと取材を続けてきたんです。そのインタビューする相手が亡くなってしまった喪失感は大きかった。取材を続けるモチベーションを失ってしまったわけです。でも、89歳になる奥西さんの妹・岡美代子さんが第10次となる再審申請を行ない、ここで我々は取材を止めていいのかということになったんです。また、奥西さんが亡くなったことで、それまで沈黙を守ってきた集落に変化が起きるのかどうかについても記録しておくべきではないのかと。もしかして真実を語る人が現われるのではないかというわずかな期待もあって、取材を続けることにしたんです」
東海テレビの取材班は、奥西さんが亡くなって間もない事件現場の集落を訪ねる。この地域では口にすることがタブーとなっている毒ぶどう酒事件について、また奥西さんが無罪を訴えたまま獄中死したことについて、事件当時を知る集落民にマイクを向ける。取材班を自宅へと招き入れる事件被害者たち。この距離感の近さは、3代にわたるディレクターたちの長年の取材の賜物だろう。事件後に生まれた世代が、事件に巻き込まれた母親に「ちょっとでも奥西さんは犯人じゃないと思ったことはない?」と尋ねる。高齢となった母親は、息子に何を語るのか。緊張の瞬間をカメラは映し出す。本作の大きな見せ場である。
また本作は、これまでの東海テレビでは触れなかったエピソードも盛り込んでいる。それは集落に伝わる2つの昔ばなしだ。ひとつはこの地は昔から水害が多く、鎌倉時代に一人の僧侶が人柱となったという言い伝え。渓流に近い岩に刻まれた観音像は、僧侶の魂を供養し、その古い記憶を後世に伝えるためのものらしい。もうひとつは伊賀名張地方の伝承で、「川で洗濯をしていた女房がタライを転がし、亭主に取りに行かせている間、別の男と情事を持つ」という艶笑譚。山奥にあり、娯楽の少なかった集落では、男女関係がとても大らかだったという。奥西さんは妻の他に愛人もいたことから警察に疑われたわけだが、そのことは集落民はみんな知っており、わざわざ隠す必要はなかった。集落における複雑な人間関係は事件の真相を知る上で重要な手掛かりだが、ゴシップ記事を得意とする週刊誌と違い、テレビ局報道部が製作する番組ではこの手のことは扱いにくい。今回は伝承を紹介することで、事件を解く鍵を提示してみせている。
「集落の人間関係については、いろいろ分かっています。『約束』では事件前、奥西さん宅に隣人の奥さんが姑にご飯のお櫃を頭から被せられて逃げ込んできたことには触れていますが、集落における男女関係についてはテレビでは扱うことは難しかった。あるとき、名張毒ぶどう酒事件の弁護団とは異なる弁護士から興味深い話を聞いたんです。『事件は境界線で起きる』と。都会と田舎、富と貧困……そんな異なる世界の境界線上で摩擦が生じ、軋轢が起きるということです。その話を聞いて思ったのが、名張毒ぶどう酒事件は近代と現代という異なる時代の境界線上で起きたのではないかということでした。昭和30年代の山奥の集落にはまだ近代の名残りがあったのではないか。そこに街での生活体験のある奥西さん夫婦が現われ、何らかの摩擦が生じたのではないか。この事件には時代の変遷が大事なのかもしれない。そこで、古くから伝わる伝承を探してみようということになり、2つの逸話が盛り込まれたんです。その逸話をどう解釈するかは、この作品をご覧になったみなさんに委ねようということです」
東海テレビのカメラは、古い伝承が残る集落の中で、名張毒ぶどう酒事件も過去に起きた悲しい伝説のひとつへと次第に変容しつつあることを伝える。また、5人もの犠牲者を出したこの事件で、奥西さんを6番目の犠牲者にしてしまった司法システムの頑迷さを糾弾する。集落民の証言が怪しく一転し、はっきりした証拠がないにも拘らず、無実の男に死刑判決を下し、再審をことごとく棄却する裁判所の歴代裁判長の顔と名前を一人ずつカメラは映し出していく。彼らこそが、奥西さんを人柱に選んだ“眠る村”の首謀者たちではないのか。
真実よりも秩序が重んじられる司法界の在り方にスポットライトを当てた一連の「司法シリーズ」をはじめ、様々な問題作を放ってきた阿武野プロデューサーだが、平成最後の年となる2019年1月いっぱいで定年を迎えることが決まっている。異色作を次々と生み出してきた阿武野プロデューサーに、かねてより尋ねてみたいことがあった。阿武野プロデューサーの作品には、視聴率を重んじるテレビマンの思考性とも司法の論理とも異なる独自の筋金が貫いているように感じられる。静岡県伊東市のお寺で生まれ育ったという生い立ちも関係しているのだろうか。
「番組をつくる上で、そのことを意識したことは特にはありません。ですが、毎週日曜になると喪服を着た人たちが寺に集まり、法事が営まれていました。悲しい顔をした人たちが集まる場で育ったことは、自分の人格形成にどこか影響しているかもしれません。40歳過ぎまでは、お盆の忙しい時期には実家に戻り、袈裟を着て檀家回りをしていました。仏飯を食んだ身として、社会に恩返しすること、人の家に分け入り、その暮らしを見るということを知らず知らずのうちに教わったような気がします。節目の定年を迎えましたが、1年更新で今の仕事は続けることになっています。本作の齊藤潤一監督がすでに立派なプロデューサーになってくれたので、もう少し距離をとりながら若手の成長を見守りたいと思います」
賞狙いで番組をつくることも、収益目的で作品を劇場公開することも考えたことはないという阿武野プロデューサー。そんな彼をはじめとする東海テレビ歴代スタッフの祈りは、“眠る村”で暮らす人たちを目覚めさせることができるのだろうか。
(文=長野辰次)
『眠る村』
ナレーション/仲代達矢 プロデューサー/阿武野勝彦
音楽/本多俊之 音楽プロデューサー/岡田こずえ
監修/門脇康郎 監督/齊藤潤一、鎌田麗香
製作・配給/東海テレビ 配給協力/東風 2月2日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
(C)東海テレビ放送
http://www.nemuru-mura.com/
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