こういうのを書かないとライターじゃない『ジョー・グールドの秘密』
#雑誌 #出版 #昼間たかしの「100人にしかわからない本千冊」
前にも触れた、柏書房のジョゼフ・ミッチェル作品の全訳。12月に『ジョー・グールドの秘密』が刊行されたので、これで完結である。
なんと、これでこの素晴らしい作品集もおしまいか。あまりに残念なので洋書の『Up in the old hotel』を取り寄せたら、辞書みたいなのが届いた……生きている間に読もう。
というわけで、あちこちで「ジョゼフ・ミッチェルすごいよ」と言い回っているTwitterなんかを見ると、ちらほらと言及している人はいるのだけれども、実のところ語り合える人には、まだ出会わない。
ジョゼフ・ミッチェル作品のすごいところは、まず名文。翻訳家も腕の見せどころであるが、とにかく描写が美しい。今はもう見ることのできない過去を、とことんきれいに描いている。
でも、そこじゃないのだ。きれいに書くだけならば、ほかにも優れた書き手はたくさんいると思う。そこで描かれていることは、丹念に訪ね歩いて聞いた話である。レコーダーもない時代に。
これ、並大抵の努力じゃできない。
古くからある頑固そうな店主のいる酒場であるとか、漁船の船長だとか。ちょっとばかり「取材に来ました~」と話を聞いても、そんなに話は出てこない。何度も通って、じっくりと話を聞いて、ようやく出てきそうな話ばかりである。
で、考えるわけだ。この作品集を褒めているだけじゃダメだということを。こういう文章を書けばいいのにということだ。
なぜ、そんなことをここで書くかといえば、最近はよく編集者にいわれるのだ。「ライターいませんかねえ」と。
これだけネットが発達して、文章を書いている人が多いというのに、これには驚きである。
なんでも、取材して書くことのできるライターというものが、とにかく足りないらしい。
いや、取材といってもレコーダーを机に置いて、聞いてきたことをまとめるだけなら誰でもできる。その聞いた話を、うまく読み物へと昇華させることのできる書き手は、とにかく足りないのだと。
ああ、そうなんだ。インパクトのあることや、面白おかしいことを書くのは誰にでもできるだろう。でも、取材して書くのは、やっぱり技能。テクニックじゃない、情熱だ。
情熱が尽きないように、泥水でもすすって腹を膨らませて。今年も書くしかないのだね、2019年。
(文=昼間たかし)
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事