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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 音楽デュオ・猿岩石はなぜ売れた?
平成J-POPプレイバック!

番組絡みの企画盤CD全盛期の90年代、”音楽デュオ”猿岩石はなぜ売れた?

白い雲のように

平成が終わろうとしている今、90年代に始まったJ-POPの流れがひとつの節目を迎えている。あのアーティストの楽曲はなぜ、ヒットしたのか? 音楽ライターの青木優が徹底分析! 

 有吉が、たとえばマツコの隣で鋭くツッコんだり、うまいことフォローしたりする、ああいうポジションに就いたのは、いつぐらいからだっけ?

 テレビを観ててなんとなくそう思い、ざっと調べたら、2008年頃からのようだ。かれこれ、10年以上か。これだと、若い子は猿岩石なんて知らないだろうなー。

 てことで、今回は猿岩石のことを取り上げてみる。

 有吉弘行(「ひろいき」と読むのね)は90年代後半、ヒットチャートをにぎわせた人気デュオのひとりだった。まあそれ以前に、彼と森脇和成による猿岩石はお笑いコンビだったのだが。

 もっとも、94年に結成した当初の彼らは、格別知られた存在ではなかった。それが有名になったきっかけは、当時の人気バラエティ番組『進め!電波少年』(日本テレビ系)でいきなり世界旅をすることになり、この企画が大ウケしたことである。

『電波少年』は何かとムチャをすることで視聴率を稼いでいて、アポなし(←この言葉を定着させた番組でもある)の突入企画が多かったりして、その無謀さが面白く、僕もたまに観ていた。思えば、後続番組含め、けっこうな数のキャラ立ちのいいタレントを輩出したものだ。松本明子、松村邦洋……と、挙げだすとキリがないので、省略する。

 無名だった猿岩石は、この番組で何をするのか知らされぬまま香港に行かされ、そこからロンドンまで、ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断する旅に出ることになる。96年4月から半年間にわたったこの旅の様子は継続的にOAされ、回を重ねるごとに2人は人気を得ていった。当然、貧乏旅で、このことは同番組以降、日本から海外へバックパッカー的な放浪をする動きを後押ししたはずだ。で、さらにこうした旅は若い世代の「自分探し」的な志向とリンクしていったと思うのだが……これも省略。そろそろ音楽の話をしよう。

 猿岩石が日本に帰ってきたのは同年10月のこと。そこで今度は歌手デビューすることになり、わずか2カ月後の12月に最初のシングルが発売される。それが「白い雲のように」だ。

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