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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 松本人志は庶民感覚が欠落してる?
テレビウォッチャー・飲用てれびの「テレビ日記」

ナンシー関は見抜いていた? 松本人志のセクハラ発言は「庶民感覚」の欠落なのか

松本人志

テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(1月13~19日)に見たテレビの気になる発言をピックアップします。

■岩井志麻子「岡山だったら困ったオバハンでしかなかった」

 テレビは「庶民感覚」を映し出す。たとえば、ワイドショーのコメンテーターは新しい視点をもたらすというよりも、視聴者の一般的な感情を代弁するようなコメントをすることが多い。

 他方で、テレビは「庶民感覚」から逸脱する。たとえば、寺門ジモンが17日放送の『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系)で土屋太鳳の印象について聞かれて、「マジメに肉に取り組んでる真剣さを感じた」と言っていた。人を評価するとき、肉への取り組み方を基準とする男、ジモン。一緒に焼肉店に行ったときの土屋の様子を評した言葉なのだけれど、そもそも、「肉を焼く」ことを「肉に取り組む」と表現するところに、ジモンの「庶民感覚」での測れなさが見え隠れする。

 あるいは、19日放送の『肉好き女子 presents 東北肉ざんまい』(同)のエンディングで、丸山桂里奈が「もともと自分も肉なわけじゃないですか。食べた肉と自分の肉が向き合うきっかけになったって思うぐらい、今日は肉をホントにいただいて」と感想を語っていた。カニバリズム的感覚を披露してはばからない、国民栄誉賞受賞者。ジモン的には、これは肉へのどういう取り組み方になるのだろうか?

「庶民感覚」からすると、身近にこのような人がいたら、少し変わった人として扱ってしまうかもしれない。場合によっては、敬して遠ざけてしまうかもしれない。けれど、テレビはしばしば、そういう人を“面白い”の枠組みで理解し、包摂する。

 17日放送の『5時に夢中!』(TOKYO MX)で、岩井志麻子は言う。

「本人が変わらなくても、環境が変わったらうまくいくことがある。私も岡山県にいたときは、ただの変な人だったんですよ。それが東京に来たら、ちょっと面白い人とかって言われて、テレビに出させていただいたり、本を出させていただいたり、居場所が与えられたんですよね。岡山だったら、ホントにもう困ったオバハンでしかなかった」

「変な人」を「面白い人」と翻訳する東京。そんな東京にキー局を置き、全国に「面白い人」を発信するテレビ。この意味でテレビは、東京の“翻訳”を全国にお届けする機械なのかもしれない。

 けれど、本当にそうなのか? 岩井へのふかわりょうのツッコミが、別の可能性を示唆している。

「おそらく、“全国区の変な人になった”っていうことだと思いますけどね」

 岩井は岡山にいようが東京に来ようが「変な人」である。

 ある意味でテレビは、東京の“錯覚”を全国にお届けする機械なのかもしれない。

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