博多っ子のソウルフードを生み出した夫婦の実話! 特許申請はしないこだわり『めんたいぴりり』
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福岡の名産品として人気の「からしめんたいこ」だが、歴史はそう古くはない。「ふくや」の創業者・川原俊夫がめんたいこを売り出したのが昭和24年(1949)。日韓併合時代の釜山で生まれ育った俊夫が、子どもの頃に食べていたタラコのキムチ漬けを独自にアレンジしたものだった。最初はなかなか売れなかったが、北海道産のスケトウダラの新鮮な卵を使うことで食感がグレードアップ。昭和50年(1975)の山陽新幹線の開通によって、全国区へと人気が広まった。B級グルメなれど、熱々の白いご飯の上に乗せたピンク色のめんたいこには、どこか汎アジア的なスケールの大きな風味が漂う。福岡のローカルタレントから全国区の人気タレントとなった博多華丸の初主演映画『めんたいぴりり』は、多くの人に愛されるB級グルメを生み出した“のぼせもん”の男と、その家族を描いた実話ベースの物語だ。
映画『めんたいぴりり』は2013年に福岡のローカル局・テレビ西日本でオンエアされた連続ドラマ『めんたいぴりり』のその後を描いたものとなっている。DVD化されているので、ぜひ『めんたいぴりり』第1部・釜山編を観てほしい。本作の主人公となる海野俊之(博多華丸)とその妻・千代子(富田靖子)の青春時代から戦争体験を描いたもので、ローカルドラマと思えないほどクオリティーが高い。釜山で生まれ育った俊之と千代子は国籍は日本だが、日本本土には足を踏み入れたことがなかった。海の向こうの福岡には「博多山笠」と呼ばれる伝統の祭りがあることを知り、まだ見ぬ祖国に憧れを抱きながら2人は大人へと成長した。
結婚した俊之と千代子は満州国で暮らし始めるが、俊之は兵役召集され激戦地となった沖縄戦線へと送られる。満州に残された千代子は、参戦したソ連軍から逃げるように子どもの手を引き、1年がかりで引き揚げ船に乗船。俊之とは終戦後の福岡でようやく再会を果たす。焼け野原状態だった福岡の中洲で、一家は小さな食料品店を営み始める。
テレビドラマ版『めんたいぴりり』釜山編は波瀾万丈だったが、映画『めんたいぴりり』は俊之たち一家と従業員たちが織り成すほのぼの系ホームドラマとなっている。俊之が試行錯誤しながら開発したからしめんたいは徐々に知られ始め、俊之の味を真似たライバル業者が現われる。特許申請や商標登録すればいいのに、俊之はまったく無頓着だ。「めんたいこは、たかがお総菜ばい」と、同業者の石毛(柄本時生)に製造方法を教えてしまう。周囲の人々は俊之のお人よしぶりを嘆くが、俊之の特許申請はせず、訪ねてきた人には無料で作り方を教えるというオープンソースな姿勢が、後に大きな花を咲かせることになる。次々とめんたいこを売り出す業者が続き、からしめんたいは福岡を代表する名産品へと育つことになる。釜山生まれの俊之は、生粋の博多っ子よりも気っ風のいい博多っ子だった。
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