コテコテの浪花男から敏腕プロデューサーへ……平成J-POP史における、つんく♂の軌跡
#つんく♂ #平成J-POPプレイバック!
デビューからしばらくは下積みのような低空飛行を続けた彼らだが、地道な努力が実って、スマッシュヒットを放つ。それが94年初頭に出た「上・京・物・語」だった(下の動画、歌のスタートは1:39頃~です)。
この歌は当時の人気TV番組『浅草橋ヤング洋品店』(浅ヤン)のエンディング曲に選ばれた。この次作シングル「恋をするだけ無駄なんて」も同じく『浅ヤン』で起用されている(1:06頃~)。
もっとも僕個人は「おお、シャ乱Qもやっと売れ始めたか」なんて感慨に浸ったわけでもなかった。最初の印象の延長で、相変わらず歌が好きになれなかったからだ。ベタで、コッテコテで、やっぱり歌謡曲のアクの部分を抽出してるみたいで。この、人情というか、過剰に人間くさいところが苦手だったのだ。それも、表面的なところでなく、心の根っこまで掘り起こされるくらいの感情が込められているのが。
しかも、つんくを筆頭に、メンバーの見た目もケバケバしく、それはもう関西の最も濃い部分をあえて盛っているかのように見えた。何もかもが下世話なバンドじゃないか、と。僕は関西の大学に通ってたし(詳細は後述)、親戚も多いし、なんたって阪神ファンなので、かの地の風土は大好きなのだが、時たま出会う個性が強烈すぎる人にはついていけないことがあるのだ。
そうこうしているうちに、シャ乱Qはついに大ブレークを果たす。1994年秋、世間に認知される決定打となったのが「シングルベッド」だった(1:04頃~)。
前述した、僕がどうにも苦手な部分をさらに濃厚にしたラブ・バラードだ。涙、失恋、未練……もはや歌謡曲というより演歌に近い。この歌でシャ乱Qは見事にヒットチャートの上位進出を遂げたのである。
それ以降の彼らはあらゆるメディアに露出するようになり、メンバーのキャラクターやバンドの背景もだんだんと知られるようになっていった。そんな中、何かの記事で彼らが近畿大学の出身であることを知り、驚いた。そう、僕と同じ大学なのである。マジかいな!? まあシャ乱Qのほうが数年下で、僕とはほぼかぶってないくらいだけど。しかも、さらにのちにわかったのは、つんくは僕と同じ経営学部の学生だったということ。MIPS(当時の学生向けのコンピュータールーム)とか使うてたんかなぁ。僕は入り浸ってました。
とはいえ、僕は相変わらずつんくに親近感を覚えたわけでもなく、「シングルベッド」のヒットについても冷めた目で見ていた。それどころか、下積みの時期には、自分たちの曲を有線放送に電話リクエストしていたという、これまた浪花節的なエピソードが聞こえてきたりして、「ま~たまた、コッテコテなことしよってからに」などと思っていた。
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