テレビが伝えない『箱根駅伝』の裏……留学生たちの「走る看板」「語学力」「金」
#箱根駅伝
優勝候補の青山学院大学が失速したことで、まれに見る激戦となった2019年の箱根駅伝。中でも活躍が目立ったのが留学生ランナーたちだ。日本大学のワンブイは2区で区間賞を獲得し、国士舘大学のヴィンセントは8人抜きで1位でのたすきリレーを実現。拓殖大学のデレセは留学生初の主将として箱根路に挑んだ。箱根駅伝を30年以上見続けてきたスポーツライターが語る。
「箱根駅伝に初めて留学生ランナーが登場したのは1989年のことです。山梨学院大学のオツオリがいきなり区間賞を取って、大学の知名度アップに大いに貢献して話題になりました。その後、留学生の起用に賛否の声が上がるようになり、今は『1チーム1人まで』というルールになっています」(スポーツライター)
オツオリ以来、マヤカ、モグス、オムワンバ(以上、山梨学院大学)、サイモン、ダニエル、ベンジャミン(以上、日大)など、数多くの名ランナーが登場。毎年レースを盛り上げてきたが、彼らが走る区間は決まっているという。
「各大学にとって、箱根駅伝は大学名をアピールする絶好の機会なので、まずは大学名が中継で連呼されることが目標です。留学生を起用する大学は、厳しい言い方をすれば、留学生がいないと箱根に出られないチーム。そんな大学がテレビに映るためには、少しでも長い間、先頭の方でレースをしている必要があります。だから、エースの留学生を後半に温存せず、1区や2区でバンバン使うのです」(同)
そんな彼らだが、学生の本分は、あくまでも勉学のはず。彼らはどの程度、授業に出席し、日本語を習得しているのだろうか?
「箱根史上に残る記録を残した留学生ランナーが4年生の時、インタビューで色紙に目標を書くように求められ、ひらがなで『ゆうしょう』と書いていました。確かに『優勝』という字は難しいものの、その選手は高校から日本に来ていたのですが……。過去には上級生になっても日本語が片言の選手もいましたし、記録が伸びず、中退してアフリカに帰った選手もいました」(同)
しかし故郷を離れ、異国の地で見知らぬ競技(=駅伝)に青春を捧げる留学生選手には、畏敬の念を感じざるを得ない。彼らは、なぜわざわざ日本にやって来るのか?
「多くの留学生がやって来るケニアは、世界屈指の陸上強国で、並の選手では埋もれてしまいます。そんな選手と日本とを結びつけるエージェントが存在し、大学はエージェントにお金を払って、選手を“買う”のです。留学生の目的はお金を稼ぐことです。学生の間はお金はもらえませんが、授業料は免除され、寮で“衣食住”が確保されます。そして大学で活躍して卒業後に実業団チームに入ることができれば、ケニアの物価は日本よりはるかに低いので、大学4年間苦労した分の“元”など一気に取れます。彼らは一族郎党の期待を背負ってやって来ているのです」(同)
登場から30年たっても、留学生への批判の声は少なくないが、彼らは人生の一発勝負をかけてやって来ているということ。大学の陸上競技の大会では「日本人トップ」という表現が当たり前なほど留学生ランナーが強いが、彼らの背景を知れば、日本人選手がかなわないのも当たり前なのかもしれない。
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