“酒田大火”というタブーを映画で払拭する試み。地方が豊かだった記憶『世界一と言われた映画館』
#映画 #パンドラ映画館
客席が暗くなり、「ムーンライト・セレナーデ」が流れる。しかし、スクリーンには映像は映し出されない。「おや、映写ミスかな」と思ったが、それは早とちりだった。映画評論家・淀川長治が「世界一の映画館」と評した、山形県酒田市にあった映画館「グリーン・ハウス」の劇場演出を模したものであることに、本編が始まってから気づくことになる。「グリーン・ハウス」では客席にまだ着いていない観客を急かすような開演ブザーは鳴らず、代わりにジャズのスタンダードナンバーが静かに流れた。人口11万人の北国の港町にあった洋画専門のロードショー館は、観客に極上の映画体験を味あわせてくれる特別な空間だった。
1950年に本格オープンした「グリーン・ハウス」は、酒田市民にとって自慢の劇場だった。ところが、1976年10月29日に地元消防組合の消防長1名が殉職、3300名が被災した酒田大火が発生し、「グリーン・ハウス」は焼失。この大火の火元は、「グリーン・ハウス」内で起きた漏電だったとされている。以来、「グリーン・ハウス」の跡地に映画館が建てられることはなかった。地元の人々にとっての大切なハレの場は、一転して口にすることが憚れるタブーとなってしまった。山形県天童市在住の佐藤広一監督が撮り上げたドキュメンタリー映画『世界一と言われた映画館』は、「グリーン・ハウス」を愛した人たちを訪ね歩き、同館の記憶をスクリーン上に蘇らせる。タブー視されていた存在を、映画によって再評価しようという試みである。東京から遠く離れた地方都市にかつて華やかな文化が咲き誇っていたことに、映画を観た我々は驚きを覚えることになる。
佐藤監督が本作を撮るきっかけとなったのが、「グリーン・ハウス」の支配人だった佐藤久一の評伝『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』(講談社)だ。2008年に発刊されたこの本によると、「グリーン・ハウス」の玄関は当時の地方都市には珍しい回転ドアとなっており、水洗トイレも導入されていたとある。清掃は隅々まで行き届き、ホテルのようなゴージャスさだったようだ。観客が快適に映画を鑑賞できるよう、あらゆる配慮が施されていた。フィルムの本数が限られていた時代にあって、アラン・ドロン主演作『太陽がいっぱい』(60)は東京の封切り館と同日公開だった。東京の配給会社も、「グリーン・ハウス」を特別視していたことが分かる。
世界一の映画館の支配人だった佐藤久一は、相当なアイデアマンだった。客席数500席の大スクリーンに加え、二階には家族やグループが貸し切りで楽しめる「特別室」や「家族室」を設け、久一のお気に入りの旧作を低料金で上映するミニシアター「シネサロン」もあった。シネコンを先取りする複合施設だった。上映作品を解説した小冊子「グリーン・イヤーズ」が毎月発行され、観客たちは読むのを楽しみにした。佐藤監督のインタビューに、かつて「グリーン・ハウス」に通い詰めたファンたちは、一階に併設されていたカフェ「緑館茶房」からいつもコーヒー豆のいい香りが漂っていたこと、「ムーンライト・セレナーデ」が流れると次第に客席の照明が落ちて、緑色の緞帳が開いていった思い出をうっとりした表情で語る。映画館の思い出が、場内に漂っていた匂いや開演前に流れていた音楽というのも面白い。
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