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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 話題の“伝説の不良”の素顔

闇金で億単位を稼いだ男の転落と再生……処女作が話題の“伝説の不良”の素顔

藤井学氏(撮影=三田正明)

 平成最後の年の暮れ。『歌舞伎町 阿弥陀如来』という自らの半生を綴った著作を刊行し、話題を呼んでいる“伝説の不良”がいる。背中には、阿弥陀如来の刺青。根城を新宿・歌舞伎町としていたことから、「歌舞伎町 阿弥陀如来」の異名を轟かせてきた藤井学氏だ。

 札付きの不良を経て、20代で闇金で大儲けし、億単位の金を手にするも、仲間の裏切りやドラッグの罠に陥り、一度は地獄を見た男。著書にも克明に描かれている“ネオ・アウトロー”の半生は誰よりもドラマティックだ。そんな藤井氏の横顔とは──。

──アングラで生きてきた藤井さんが、自分が表に出よう、書籍を出そうとしたきっかけを教えてください。

藤井 ぼくは裏の世界の人間だと自覚をしていました。だけど、それではいけないと周りの人からいろいろ言われて、しょせん人生なんか短いし、面白おかしく生きれば勝ちじゃないですか。それで楽しく人生を振り返ることができればいいかな、と思ったのがきっかけですね。ほかの人たちが、ぼくの人生を面白がってくれたり、そこから何かを得てくれたりしたら本望です。

──裏の世界の人間というのは?

藤井 ガキのころから悪さばかりしていて、周りでは「誰が刺された。さらわれた」とかの事件は日常茶飯事に起こっていました。そんなのは真っ当に生きていれば味わえない世界じゃないですか。別に自分がそのような生き方を選んだのではなくて、気が付いたらその最前線を走っていた。好きなものは好き、嫌いなものは嫌いという自分に正直な生き方をしているだけなんですけどね。

──暴力団ではないですよね?

藤井 ぼくは違います。個人的に縁を持っているのは、本の後書きにも名前を出させていただいた棚本清己氏、亡くなられましたが、漫画の『代紋TAKE2』のモデルといわれている阿久津雄治氏。この2人の任侠がいわゆる世間でいわれる暴力団ですが、ぼくが暴力団の一員として扱われたり、お付き合いしたりとかは一切していないです。

──裏の世界の人だった藤井さんは、最初、ネットメディアの「R-ZONE」で連載を開始して名前が表に出るようになりました。反響はありましたか?

藤井 メチャクチャありましたね。藤井学はどこに向かっているんだろうとか、そんなこと言われましたね(笑)。

──自身では、それまで動画配信などもしていましたが、それとは違う感触でしたか?

藤井 あれは本当に遊びでやっていて、別にぼくの生き方を左右するようなことではなかったので。

──藤井さんの人生を変えたきっかけはなんですか?

藤井 さきほど名前を挙げた、棚本氏、阿久津氏をはじめとした人との縁ですか。それと本の後書きにも名前を出しましたが、親友だった(桜井)義光との出会い、そして彼の死がぼくの考え方、生き方を変えましたね。こいつが生きるはずだった人生を、ぼくは背負わなければいけない。それは何だとかは細かくは人には言いませんが、ぼくは義光の人生を背負って今も生きています。ぼくが死んだ時に義光に「学、ありがとな」と声を掛けられるかは、死んだあとなのでわからないですが。「余計なことしやがって」とかも言われるかも知れないですけどね(笑)。

──藤井さんが生まれた昭和51年や、その前後数年に生まれた、東京の不良少年史に名を残す有名な人間大勢いますよね。『歌舞伎町 阿弥陀如来』では、当サイトでもおなじみの瓜田純士や関東連合のメンバーなどと交友関係があったような記述が見られますね。

藤井 そうですね、好き嫌いは別にして、顔見知りですね。東京だけじゃないですよ。埼玉から神奈川、千葉の同年代の人間とは付き合いはあります。

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