安室奈美恵をブレークに導いた、小室哲哉の”絶妙なR&B感覚”と「SWEET 19 BLUES」
#小室哲哉 #安室奈美恵 #平成J-POPプレイバック!
平成が終わろうとしている今、90年代に始まったJ-POPの流れがひとつの節目を迎えている。あのアーティストの楽曲はなぜ、ヒットしたのか? 音楽ライターの青木優が徹底分析!
安室奈美恵――。
この1年と少しの間、彼女のことを目にするたびに、僕はあの時の後ろ姿を思い出していた。
1996年、夏のはじめ。発売直前のアルバム『SWEET 19 BLUES』についてのインタビューをするために、僕はそのビルにいた。安室奈美恵はほぼ一日中、自分に向けられるカメラに対していた。
この年は春の「Don’t wanna cry」に続き、夏は「You’re my sunshine」がヒットチャートを席巻していた。安室ブームの真っただ中で、街には「アムラー」と呼ばれる子たちがあふれていた。日本中の目がこの少女に向けられていた。
複数の取材が一度に進められており、撮影はシチュエーションを変えながら行われ、安室本人はそのたびに衣装替えやメイク直しをする。インタビューはその合間に組まれていた。まさに分刻みだった。
僕は、ライヴは観ていたが、安室本人とは初対面。目の前に座った彼女は華奢だった。お互いさほど目も合わせず、「よろしくお願いします」と、あまり大きくない声であいさつをしてくれた。
子どもの頃からステージに立つことが夢だった、俳優の美木良介さんが好き……。安室の話しぶりは自然だった。飾らず、静かに、時折にこやかに話してくれた。
インタビューは撮影のたびに分断される。その2度目の時だったか、席を立って撮影スペースへ向かう安室が、ほんの少しだけフラついたように見えた。過密スケジュールで、疲れていないわけがない。それでも彼女は厚底のブーツをそっと前へ踏み出し、バランスをとって、まぶしいライトの下に歩いていった。
その後ろ姿には、プロとしての根性と、負けず嫌いの気持ちが感じられた。
当時の安室の音楽は、何が支持されたのか。その背景ともども、振り返ってみる。
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