トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 安室奈美恵が支持されたワケ
平成J-POPプレイバック!

安室奈美恵をブレークに導いた、小室哲哉の”絶妙なR&B感覚”と「SWEET 19 BLUES」

 21世紀に入ると、安室は完全に新しい制作態勢へと移行していった。小室とのコラボは2001年のシングル「think of me/no more tears」までとなり、その後は新たな作家陣に託したり、また彼女自身が詞を書くケースも出てくる。特に02年の「I WILL」は、ファンに対する純粋な思いが表れたバラードだ。ちなみにこの年には、プライベートではシングルマザーになったことも報道されている。

 僕はといえば、安室には継続的にインタビューをしていたのだが、ちょうどこの頃から取材をする機会そのものがなくなっていった。これはおそらく当時の彼女(とスタッフ)が活動のあり方や方向性、あるいはペースについて捉え直した時期で、メディアへの露出のスタンスが変わったところもあったのではと思う。また、僕自身も、メインストリームの音楽より、ロック寄りの仕事の割合が増えていく流れがあった。まあ、こうしたことは縁とか運のようなもので、この仕事をしていると、よく起こることである。

 それからの自分は、仕事の上では安室から離れたものの、TVで見かけたり、どこかで新曲を耳にするたびに、「安室、頑張ってるな」と思っていた。彼女の成長を特に大きく感じたのは、07年のアルバム『PLAY』の頃だった。胸元を開け、ムチを持ったジャケットは、安室がまったく新たな表現の領域に達したことを示していた。「Baby Don’t Cry」をはじめ、新たなクリエイターたちとの出会いが、大人になっていく安室奈美恵像を作り出していた。

 セルフ・プロデュースをしたり、サウンド面ではEDMを導入したりと、安室は歌とダンスとともに新しい表現を重ねていった。気がつけば彼女は世界中のファンから愛され、尊敬もされる、とてつもなく大きな存在になっていた。そんな事実をあらためて感じさせてくれたのが、17年の引退発表以降の騒ぎだった。

 デビュー25年と聞いても、実はあまりピンとこなかった。ただ、一番驚いたのは、安室の引退が話題になっている頃……僕はプロ野球の阪神タイガースのファンなのだが、そのファンサイトか何かで、福留孝介選手と彼女が同い年だというのを見た時だった。確かに2人とも、1977年生まれ。阪神を牽引する大ベテランで、ファンからは「ドメさん」と呼ばれる福留と、いまだに世代を超えて「安室ちゃん」と親しまれる彼女が同じ年齢だなんて! そこで時の流れを初めて実感した。

123456
ページ上部へ戻る

配給映画