安室奈美恵をブレークに導いた、小室哲哉の”絶妙なR&B感覚”と「SWEET 19 BLUES」
#小室哲哉 #安室奈美恵 #平成J-POPプレイバック!
また僕個人は、その後のシングル「How to be a Girl」にも強く魅了された。当時「デジタル・ロック」と呼ばれたケミカル・ブラザーズあたりのサウンドを意識したと思われる、ダンサブルでクールなナンバーである。こうして小室は、合間にバラードを挟みながら、主にアップテンポの曲で安室の歌の世界を広げていった。この時期、現代的なブラック・ミュージックを主体にしながら、小室とともにあらゆる方向性にアプローチしたことは、安室というアーティストにとって貴重な糧になっているはずである。
以後の安室は、結婚・出産という人生の一大イベントが起こったことで、活動としてはひとつの区切りを迎える。そこからの休止期間を経て、シーンに復帰したのは98年の暮れのこと。翌99年の春には「RESPECT the POWER OF LOVE」というゴスペル的なコーラスも印象的な曲を出している。しかし彼女の歌は、小室哲哉という巨大な才能の手のひらからも次第にあふれ出ていくことになる。
この年にエポックだったのは、9月、もろにR&B路線の「SOMETHING ‘BOUT THE KISS」をリリースしたことだった。TLCやモニカなど、すでに世界的な知名度を誇るダラス・オースティンをプロデューサーに迎えての楽曲だった。安室はここから本場の、ホンモノのプロデューサーたちとも仕事をするようになっていったのだ。そして結果、彼らとも堂々と渡り合うのだから、本当に大したシンガーだと思う。
小室は、新しい音楽に対して貪欲な人だった。僕は、安室のブラック志向も、小室プロデュースだからこそ世の中に受け入れられたのだと思う。というのは、小室はプログレッシヴ・ロックなどのロックにルーツを持つ人で、どちらかといえばブリティッシュ・ロック寄り。TM NETWORKでの作品群、それにレイヴやジャングルにも接近したように打ち込みのダンサブルなビートへの志向を持つプロデューサーではあるが、元からしてブラック・ミュージックの要素はさほど強くないのだ。
ただ、90年代においては、この彼によるブラック成分の強すぎないR&B感覚こそが、歌も、また人間的にも成長過程にあった安室に、そして幅広い層まで含めた日本のリスナーたちにハマったのだと思う。安室が最初からR&Bの本格派と組んでいたら、濃すぎたに違いない。
そして小室だからこそ、少女から大人へと成長しようとする安室の、壊れそうなほど繊細な思いをくみ取って、「SWEET 19 BLUES」という美しいバラードをモノにできたのだと思う。
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