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日刊サイゾー トップ > カルチャー  > 阿佐ヶ谷アニストはなぜ死んだ街に?

JRが自ら招いた破綻への道のり……「阿佐ヶ谷アニメストリート」は、なぜ“死んだ街”になったか

「阿佐ヶ谷アニメストリート」公式サイトより

「やはり、マンガやアニメにはエロもあるじゃないですか。秋葉原の街なんか、そんなものであふれ返っている。でもね、阿佐ヶ谷アニメストリートは、エロはダメなんです」

 聞いてもいないのに、担当者がそんなことを言いだしたのには驚いた。

 2014年、鳴り物入りでオープンしたJR総武線・中央線高架下の「阿佐ヶ谷アニメストリート」が、来年2月末をもって閉鎖されることが発表された。もはや、この件すら話題にもなっていないことが、この新たなオタクの街が、どういった目で見られていたかを示している。

 JR東日本都市開発が、高円寺駅~阿佐ヶ谷駅間の高架下に「阿佐ヶ谷アニメストリート」をオープンすると発表したのは、13年6月のことだった。同区間高架下は生活道路として利用され、駐車場や倉庫も並んでいる。そこにアニメの関連ショップを並べて新たな街を創出するというのが目論見だった。

 杉並区は、全国で練馬区に次いで2番目にアニメ関連企業が集中する地域。その当時、すでに日本最初の本格アニメ関連展示施設である「杉並アニメーションミュージアム」や、西武新宿線上井草駅前に作られた「ガンダムモニュメント」が話題になっていた。予定では、約100メートル、2,000平方メートルあまりの敷地を使い、そこにフィギュア工房、コスプレ衣装のオーダーメイド店、撮影スタジオ、配信スタジオなどの「クリエイターズ・アンテナショップzone」、キャラクターグッズやCD・DVDなどの「物販zone」、さらには「製作スタジオzone」、展示・イベントスペースを併設した「カフェ」、専門学校のサテライト教室や就業体験ができる「大学・専門学校zone」とエリア分けし、多種多様な店舗が軒を連ねるとされていた。

「総武線の黄色い電車がアニメ文化のひとつの軸となることを目指しているんです」

 担当者は、総武線・中央線沿線の秋葉原や「中野ブロードウェイ」がある中野とつながる新たなオタクの街の夢を語った。だが、その次に語った冒頭の言葉。それを聞いたときから、この計画には暗雲が立ちこめているように見えた。

 翌14年3月29日に、阿佐ヶ谷アニメストリートは開所式を迎えた。軒を連ねるオフィシャルショップでは声優らによるイベントも開催され、多くの人で賑わっていた。当初の担当者の言葉は不安を感じさせたが、これなら徐々に新たなスポットとして定着していくのではないかと思わせるものだった。

 だが、まったくそんなことはなかった。1年もたたない間に「閑古鳥が鳴いている」と揶揄されるようになった。撤退する店舗も出ている。その実情を、阿佐ヶ谷アニメストリートをプロデュースし、ストリート内にオフィスも構える作戦本部株式会社の代表取締役で「作戦本部長」の鴨志田由貴に尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「これは想定内のことであって、最初の2年間はお客さんが来るとは考えていませんでした。定着するまで3年はかかると思っていますから」

 阿佐ヶ谷アニメストリートの前に、鴨志田はJR秋葉原駅~御徒町駅間の高架下を利用した商業施設「2k540 AKI-OKA ARTISAN」を手がけていた。ここは現在も多くの人が足を運ぶ人気スポットになっている。ただ、それまでには3年あまりかかった。だから、阿佐ヶ谷アニメストリートも人が来るように、大家であるJR東日本都市開発と店子が一体となって街を育てていかなくてはいけない。そんなことを鴨志田は考えていた。

 だが、成功した「2k540 AKI-OKA ARTISAN」とは違い、阿佐ヶ谷アニメストリートは想定外の我欲に満ちたボタンの掛け違えにあふれていた。

 例えば、店舗前に設置したイベントや商品の案内を記したチラシ用のラックの設置が、それである。店舗面積も限られているわけだから、ラックはどうしても通路にはみ出す形になる。それは、どこの街でも通行人の迷惑にならないように気を使いつつ、当たり前に行われていること。ところがJR東日本都市開発は、強行に「通路上にラックを置かないように」と主張。鴨志田が何度も説明してラックが設置できるようになるまで、1年あまりを費やすこととなった。

 そして、肝心の出店した店舗にも、街を育てようという意識は薄かった。家賃が高めに設定されたために、出店したのは大半が企業系の店舗になってしまったのだ。

「企業系の店舗を運営する人の意識は、やはりサラリーマン的になってしまいます。家賃を下げて、中野ブロードウェイのように個人店が入居できるようにしたほうがいいでしょう」

 そう鴨志田はJR東日本都市開発を説得したが、大企業の意識を変えることは容易ではなかった。しかも、入居希望者を選ぶ立場にあるはずのJR東日本都市開発は、とんでもない企業が入り込んでいるのも見極められなかった。

 家賃を払っているのに、まったく営業をしていない店舗があったのである。そんな店舗が、余計に「閑古鳥」の雰囲気を濃くしていた。営業していないと名指しされる店舗は2つあった。ひとつは、教育プログラムを企画開発しているマイクロミュージアムラボラトリーが運営していた「マイクロミュージアム・カフェ」。取材を申し込んでもなしのつぶてだったが、関係者は誰もが「JRや杉並区から仕事を受注するべく、“地域に店舗を運営している”という既成事実を得るために出店したのではないか」とウワサしていた。

 もうひとつの店舗は、萌え系イラストをフィーチャーしてLEDバックライトパネルを販売する「ピカットアニメ」。同社は店舗内での販売は行っておらず、全面をガラス張りにして、中に商品を展示する無人のショールームとして利用していた。ところが取材すると、営業していないことを問題とする指摘には、真っ向から反論した。

「JRとは最初の段階から、このような使い方をするということで、暗黙の了解を得ていました。書類の上でも、オープン以降すべての曜日を休業日として、JRに提出していました。ところが、昨年の8月頃から突然(営業していないことを)問題だと言い始めたんです」

 これに加えて、店舗として借りているはずが、実態は事務所として利用している企業もあった。もはや街は育たないと判断したのか撤退も相次ぎ、15年10月になると、16区画の中で営業しているのは4店舗にまで減ってしまった。

 そして、阿佐ヶ谷アニメストリートには、鴨志田がさまざまなアイデアを考えたところで、人が足を運ばない巨大な問題があった。最寄りの阿佐ヶ谷駅からの導線が、あまりにもひどかったのである。阿佐ヶ谷アニメストリートのオープン当初から、阿佐ヶ谷駅から向かう場合に通らなければならない、高架下の商店街・ゴールド街の建て替えに伴う立ち退きが泥沼化していたのだ。

 半ば廃墟となった商店街を通り抜けなければ、たどり着けないという状況は、街の成長を決定的に疎外していた。立ち退き問題が一段落してからは、さらにひどくなった。本来の通路が工事で使えなくなった結果、飲食店の勝手口などがある裏口を通らなければならなくなってしまったのだ。

 17年7月にゴールド街だった場所は「ビーンズ阿佐ヶ谷」として再オープンしたが、すでに手遅れだった。この間も、鴨志田は個人店の出店や、期間限定での店舗の利用を受け付けるなどのアイデアを出していたが、JR東日本都市開発は聞く耳を持たなかったようだ。

 国鉄が民営化されてJRが発足してから30年を超えた。首都圏の駅は、どこもキラキラした店舗が並ぶ空間となっている。でも、かつて鉄道駅が持っていたような泥臭さのある店舗が消えた駅は、どこか寂しい。阿佐ヶ谷アニメストリートの失敗の本質は、そうした現状ともリンクしているようにみえる。
(取材・文=昼間たかし)

※取材対象者の発言は当時のものです。

最終更新:2018/12/13 22:30
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