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日刊サイゾー トップ > エンタメ > ドラマ  > 『大恋愛』小池徹平に救いは訪れるか

戸田恵梨香『大恋愛』サイコホラーと化した小池徹平の“ウザさ”に救いは訪れるか

■“本質”は描き切れたか

 先日、戸田さんが番組のインスタライブで、「7・8話あたりを見ないとアルツハイマーの本質は見えないし、最終回が成り立たない」といった発言をしていました。最終回にも松尾は登場しますので、松尾の存在こそがこの作品の本質ということのようです。

 展開そのままに解釈すれば、その本質とは「記憶を失うことがつらい」ではなく「病気により周囲の理解を失う」「孤独になる」ことのほうがつらいのだということでしょう。

 実際、松尾の振る舞いはほとんど理解不能でしたし、自ら理解を拒み、孤独を志向する様子がありました。病人という立場からの「病人は小説の道具だろうが」という正論は真司くんを打ちのめしましたし、何をやっても「ボク、病気なんで憶えてないです」と病気を利用する姑息さも描かれました。

 例えば、渡辺謙がアルツハイマー患者を演じた映画『明日の記憶』(2006)では、ほとんど記憶を失った主人公の周囲に「それでも寄り添ってくれる家族がいる」という事実が救いとして語られています。一方で今回の松尾には、どうにも救いがなさそうで、その救いのなさこそがドラマに得も言われぬスリルを生み出していたんですが、なんだかヌルッと退場させたな、というのが素直な印象でした。「MCIだかWaTだか知らんが地獄に堕ちろクズが!」と視聴者に思わせる展開を作ったわりに、さほど説得力を感じない説得によって、松尾は尚ちゃんのことをあきらめちゃった。

 このへん、最終回に向けての伏線もあるのでしょうけれど、松尾メインで見ていただけに物足りなく感じたのが正直なところです。

 

■それにしても脂の乗り切ったムロ&戸田コンビ

 ムロさんと戸田さんの演技合戦は、あいかわらず充実しています。たぶん、演出部の要求以上のことをしていると思う。今回印象に残ったのは、真司くんの小説『脳みそとアップルパイ』の続編のタイトルについてのやりとりです。

 真司くんは、続編のタイトルについて「決まったら最初に尚ちゃんに相談する」と約束していました。そしてベッドの上で、「『もう一度第1章から』って、どう思う?」と、約束通り尋ねました。

「すごくいいと思う!」

 大喜びの尚ちゃん。真司くんが「ホント?」と聞き直すと、もちろん「うん」と。

 でも、この「うん」の発声が、ちょっとボヤけてるんです。ちょっとだけ引っかかる程度にボヤけてる。見逃してもいいくらいのボヤけ。

 その後、尚ちゃんはそのことを忘れてしまい、2人はケンカになります。ここで「ホント?」「うん」のちょいボヤけが、完全に伏線として機能しました。あー計算してた! みたいな。

「続編のタイトルだって、最初にあたしに教えてほしかったのに!」

「言ったよ!」

「聞いてない!」

 癇癪を起した尚ちゃん。ここでの真司くんの一瞬の表情がすごかったんだ。

「言ったじゃねえかよバカ野郎! なんで憶えてねえんだよ!(ブチ切れ)」→「憶えてねえのか、そうか、病気か、病気だった(思い出し)」→「だからって、こんな大切なことまで忘れることねえだろ!(蒸し返し)」→「しかも自分が忘れてるくせに人のせいにしやがって!(激昂)」→「でも病気なんだ、しょうがないんだ(思い直し)」→「なんで尚ちゃんにだけ、自分たちにだけこんな悲劇がのしかかるんだ(悲しみ)」→「それでも生きていこう。2人で。俺がしっかりしなきゃ(決意)」

 くらいの感情の流れを1拍の中に納めてからの「言ったって……」という返し。まあそこまで具体的じゃないけど、そういうことを表現したこのときのムロツヨシの顔面動作は、すさまじかったです。ちょっと見てて泣いちゃうくらい。何しろ2人のお芝居が達者なので、単純に楽しいです。

 あと、今のところどう機能していくのかまったくわからない松岡昌宏と草刈民代のベッタベタな『黄昏流星群』的関係も、行く末が楽しみです。はい。今日を含めて、あと2話だって。
(文=どらまっ子AKIちゃん)

最終更新:2018/12/07 17:00
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