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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 加藤ひさしが語る32年間の軌跡
『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』公開記念インタビュー

ヒット曲なしでも23枚ものアルバムをリリース!! ザ・コレクターズ加藤ひさしが語る32年間の軌跡

「大ヒットがなかったから、逆にバンドが続いたのかもしれない」。ザ・コレクターズの加藤ひさしが32年間に及ぶバンド活動の秘密を語った。

 ザ・コレクターズは不思議なバンドだ。1987年にメジャーデビューして以来、アルバムを出すたびに「最高傑作」と称され、ライブは高く評価されてきた。そんな彼らが初めて日本武道館ライブを成功させたのが、バンド結成から31年目となる2017年だった。遅咲きの苦労人と普通なら呼びたくなるところだが、ザ・コレクターズはポップな世界をいつも軽快に歌い、エネルギッシュな演奏を続けてきた。武道館ライブという祭りを終え、次のアクションが注目されていたザ・コレクターズだが、彼らが選んだのはドキュメンタリー映画だった。35年の歴史を終えることになったライブハウス「新宿JAM」を舞台にした映画『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』の公開を前に、ザ・コレクターズのボーカリスト加藤ひさしが、バンドのこと、映画のこと、そして克服した病気のことまでToo Muchに語った。

──武道館ライブを成功させた後、閉店が決まった「新宿JAM」でライブを行ない、その様子をドキュメンタリー映画に。1万人収容の武道館から、200人入ったら身動きができなくなる小さなライブハウスという振り幅もザ・コレクターズらしさを感じさせます。

加藤ひさし(以下、加藤) 結果なんです。「新宿JAM」でのライブは前もって予定していたわけじゃなかった。「新宿JAM」が2017年いっぱいで閉まるので、何かやってほしいと頼まれ、12月24日を空けていたんです。そのときにはファンミーティングでもできればいいかなぐらいの気持ちでした。それで武道館が終わった後に、フジパシフィックミュージックから映画を撮らないかという話が持ち込まれ、何をやろうかとみんなで考えました。結成30年とか武道館への道なら映画になりやすいんだろうけど、終えた直後でしたからね。

──「武道館ロス」状態だったんですよね。

加藤 そう。大きな祭りを終えた後だから、何をやろうか悩みました。いろいろ考えた結果、「新宿JAM」は俺たちが初めてワンマンライブをやったライブハウスであり、東京モッズシーンのメッカだった。その「新宿JAM」が35年の歴史を終えるというところにスポットライトを当てれば、東京モッズシーンというカルチャーを紹介することができるし、そこから飛び出したザ・コレクターズというバンドを広い世代の人たちに観てもらうことができるなと。そんなときに俺らがデビューした1986年に「新宿JAM」でやったライブの映像が出てきたんです。この日と同じ曲を同じ衣装で演奏すれば、32年前の過去と現在を行き来したタイムマシーン的なことができるなと思った。これなら武道館でのライブ映像より興味深いし、『情熱大陸』(TBS系)よりも断然面白くなる(笑)。このアイデアを川口潤監督に伝えたら、すごく乗ってくれた。

「新宿JAM」で行なわれたライブの様子。「僕はコレクター」「扉をたたいて」「チューイング・ガム」など32年前と同じ曲を熱唱した。

──『さらば青春の新宿JAM』は単なるドキュメンタリー映像ではなく、映像と音楽によるタイムマシーン体験なんですね。武道館という大きな夢を実現させた後、自分たちの足元を見つめ直そうみたいな気持ちもあった?

加藤 いや、それは全然なかった。武道館の後は、Zepp Tokyoあたりをマンスリーでやろうくらいの意欲でしたから。でも映画の撮影のためとはいえ、「新宿JAM」でライブをやることになり、意味が変わってきたんです。閉店ご苦労さまライブをやるつもりだったのが、映画のメインになるライブをやることになり、やる気が変わってきた。あの頃のメンバーは俺とギターの古市コータローの2人だけになってしまったけど、実際にあの小さな「新宿JAM」で歌っていると、いろんなことが思い出されてくるんです。やっぱり、何事も原点ってあるんだなって思った。客との近さとか熱さとか……。フツーだったら、それに辟易していたわけですよ。客との距離は近すぎるし、音楽環境は整っていないし、スピーカーの音はよくなくて、歌いにくい。でも、これが原点なんだと思ったときに、これを忘れたらロックバンドはもうダメだなって、そういう気持ちになったんです。Zeppをマンスリーで満席にすることに、そんなに意味があるのかなぁ、どこだってロックをやればいいじゃないかって。あの頃はでかいホールで演奏することに憧れていたけど、実際にでかいホールで演奏するようになると、そのときの気持ちを忘れちゃうんだよね。

──ザ・フーのアルバム『四重人格』から生まれた英国映画『さらば青春の光』(79年)が公開されたことで、日本にもモッズカルチャーが広まった。加藤さんが映画から受けた影響は大きい?

加藤 でかいですよ。『さらば青春の光』のロードショー初日の1回目の上映から並びました。前売り券を買って、上映の1時間前から並んだ。俺が一番だと思っていたら、俺の前にアイパー掛けてパッソルみたいな原付きに乗ってきたお兄ちゃんがいた。結局、並んだのはアイパーのお兄ちゃんと俺だけだった(笑)。もうすぐ19歳の誕生日だったので、今でも鮮明に覚えている。昔の新宿ピカデリーだったんです。『さらば青春の新宿JAM』も同じ新宿ピカデリーで11月に公開されるなんて、面白いなぁと思いますよ。『さらば青春の光』を19歳のときに観た劇場で、自分たちのドキュメンタリー映画が上映されるなんて、まったく考えもしなかった(笑)。

 

■ザ・コレクターズがロックバンドとして永続してきた秘密

──ステージの上ではカメラに撮られることに慣れていると思いますが、ドキュメンタリー映画の撮影は違うものがあったのではないでしょうか。

加藤 ライブ映像やプロモーションビデオは大量に撮ってきたけど、今回はドキュメンタリーだからね。自宅までカメラが入ったのには、ちょっと戸惑った。でも、俺がどれだけ『さらば青春の光』から影響を受けたかは自宅にカメラを入れて、本棚に資料が並んでいるところを撮ってもらわないと伝わらない。ベスパも新しいのを撮影用にレンタルするんじゃなくて、23歳のときから乗っている自前のヤツで都内を走らないと意味がない。もちろん、ドキュメンタリーにも脚色されたものが入るわけだけど、限りなく素のものを映さないと嘘くさくなるからね。

──そして、古くて狭くて小さな「新宿JAM」でのさよならライブ。武道館でのテンションマックスなライブとは、また違った盛り上がりに。

加藤 違うねぇ。武道館をやったときは「もう、ここ以外ではやらない!」と思ったんだけど、そうじゃないなと。どこでもロックしようよと。やっぱり、「新宿JAM」はザ・コレクターズにとって大切な場所だったんです。86年11月から翌年3月まで連続でワンマンライブやって、お客がだんだん増えていくのをステージから感じ、人気ミュージシャンやレコード会社の人たちが見に来てくれて、メジャーデビューすることになった。「新宿JAM」は特別な場所なんです。

──ザ・コレクターズって本当に不思議なバンドだなと思うんです。誰もが知っているような大ヒット曲は放っていません。でも、ライブは常に高く評価され、アルバムはこれまでにメジャーレーベルから22枚も出してきた。32年間活動を続けてきたザ・コレクターズの原動力はいったい何なんでしょうか?

加藤 それがね、この映画を撮ることで読み取れればいいなと思ったんです。俺自身がいまだにそれが分からないんです。普通はメジャーなレコード会社なら、ヒット曲のないバンドなんか「もう、いいです」とお払い箱になるでしょ。でも、この季節になると、「来年はどうしましょう」と次のアルバムやライブツアーの話になるからね。CDがどのくらい売れているのか、詳しい数字は俺知らないんです。自分でもザ・コレクターズがここまで活動が続いている理由は分かってないんだけど、ひとつ言えるのは自慢じゃないけど、俺らが出すアルバムは全部素晴しいということ。レコード会社もビビってんじゃないの。デビューからずっとキャリーオーバーが続いている状況だから、いつか当たったらエラいことになるぞと(笑)。

──「ネクストブレイクするのは、ザ・コレクターズだ」と、長年言われ続けてきました。

加藤 そうだね。今ふと思ったんだけど、30周年記念のCD BOXは22枚組+DVDという豪華版で、これ3000セット売ったら売り上げが1億円を越えるってコータローが気づいたんです。日本コロムビアの社長も「えっ、このバンドは億を稼ぐのか」と驚いていた(笑)。3000セットにはちょっと届いていないけど、いいところには行っているみたい。じわじわとね。最終的には1億、行きますよ。ヒット曲はなくても億は稼げる!

──ヒットチャートに載らなくても、バンド活動を続けていくことは可能なんですね。

加藤 ロングランで売れればいいんです。ヒットチャートに載るのは最大瞬間風速を出すのが得意な人たちなわけだけど、ザ・コレクターズはそういうバンドとは違うってこと。

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