だいたい辛辣なショウペン先生『自殺について』
#雑誌 #出版 #昼間たかしの「100人にしかわからない本千冊」
さて、前回から引き続き、人生の黄昏を感じざるを得ないシリーズである。そもそも論としてタイトルが「100人にしかわからない本」なので、100人くらいはわかってくれると思って、続ける。
20世紀の末。90年代の半ばくらいまでは、読書の必然性というのは、現在よりもずっと高かった。読書をしていれば、最低限の教養は身について、それはいずれ我が身を助けるという信仰のようなものを誰もが共有していたと思う。
でも、それはある面では正しくはなかった。
読書の積み重ねが、そのまま実人生に影響するのならば、もっと報われている人も多いはず。ふと見回せば、一種の求道的な読書スタイルは、もうどこにも見られない。世に論客といえる人は一種の芸人のようになっている。
今の時代を切り取っている魅力的な本というのはあるけれども、何十年、何百年と読み継がれている本に比べると、何かが欠ける。
考えてみれば、筆者はまったく信じてはいないけど、マルクスなんて生誕200年を迎えて、まだ本が読まれたり研究者がいたりするわけである。自己啓発書とかビジネス書ではない形で、世界はこうなっているとか、人生はこういうものだと語り、そうだったのかと考えさせられるような本というものは、ほぼ見ない。
実際『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)が、マンガ(マガジンハウス)になって、ブームになるくらいだから、本当に、そんなジャンルの本は新たにはないのだろう。
読書というのは、だいたい出会い。読書の必然性があった時代には「何が書いてあるか、難しい、わからん」などと読みつつ、なんとなくのフィーリングで「だいたい、自分のこれから生きるラインは、これ」みたいなものをつかんでいた。
今思うに、筆者のラインに通底しているのは、ショウペンハウエル(ショウペンハウアー)に尽きる。ショウペンハウエルは、19世紀ドイツの哲学者で、書いてることはやっぱり難解である。数年前に、白水社の『ショウペンハウアー全集』全14巻+別巻1巻を買ったけど、やっぱり難しい。代表作である『意志と表象としての世界』は、正続合わせて全集のうち6冊を占める。これは、何度読んでも、やっぱり難しい。
ところが、このショウペン先生。短い文章を書かせると人が変わる。毒舌というべきか、えぐるような洞察力というべきか、辛辣に本質を突いてくる。岩波文庫の青から、現在も刊行されている『自殺について』は、まさにそれ。この本で記される《人生というものは、通例、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、の連続にほかならない》は、ショウペン先生の名言として、よく引用されるもの。
正直『君たちはどう生きるか』とかに感動している場合なら、こうした辛辣な言葉に刺されたほうがいい。それも人生の早いうちに。
「成せばなる」とか思っても、結局はそんなんものだと思っていないと、本当に電車にでも飛び込んでしまう。そうならないために、ショウペン先生は最初から最悪を想定しておけと教えてくれているわけである。そして、いざとなれば、キリスト教的価値観じゃなければ自殺も勇気ある選択肢とまで。
人生の半ばに、また、もう少し生きるか否かを考える。
(文=昼間たかし)
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