小栗旬ハリウッド進出の裏にある「育ての親」の不遇と「離婚ジンクス」の闇
#小栗旬 #ハリウッド #本多圭の「芸能界・古今・裏・レポート」
人気俳優の小栗旬が、2020年公開予定の映画『ゴジラVSコング』(仮題)でハリウッドデビューすることがわかった。
まだ役柄は明らかにされていないものの、主要キャストとなる見込みとのことだが、彼の満を持してのハリウッド進出は、小栗の“芸能界の育ての親”で映画プロデューサーの山本又一朗氏の影響であることは間違いないだろう。
山本氏は、小栗の所属事務所「トライストーン・エンタテイメント」の代表取締役で、小栗や綾野剛を育てた敏腕マネジャーとして知られる一方、映像の世界では、“伝説の男”だ。
1970年、当時、漫画家・小池一夫氏のマネジメントを担当していた山本氏は、小池氏の『子連れ狼』の映画化を求めるハリウッド関係者への対応のため渡米。この交渉担当を契機に、映画業界の道に進むことを決意したという。
帰国後、実写映画『ベルサイユのばら』『太陽を盗んだ男』『がんばれ!!タブチくん!!』シリーズほか、アニメ映画『ゴルゴ13』など、数々の作品をプロデュースしてきた山本氏だが、そんな“伝説の男”に関して、筆者がもっとも印象に残っているのは、彼がハリウッドで“マタ・ヤマモト”と言われた時代だ。
1990年代初め、ビートたけしが、キアヌ・リーブス主演のハリウッド超大作SF映画『JM』(95年公開)に出演することになり、打ち合わせと英会話の勉強のため渡米した。筆者も、たけしを取材するため、雑誌編集者とロス入りしたのだが、その際、現地の日本人社会で話題になっていたのが、山本氏だった。
当時、山本氏は、世界最大のヨットレース大会「アメリカスカップ」をモチーフにした映画『ウインズ』の製作のため、資金集めに奔走していた。日米共同製作による企画だったが、ハリウッド関係者からは「ヨットレースは、日本でもアメリカでも上流階級のスポーツ。一般庶民に縁がない映画なんか、当たるわけがない」と相手にされなかった。
それでも山本氏は口八丁手八丁で、なんと50億円ともいわれる製作費を集めた。そうして『ウインズ』は95年に公開されたが、ハリウッド関係者の予言通り、結果は大コケ。出資者は、“映画は水もの”と、泣き寝入りするしかなかったという。
その後、日本に戻った山本氏は、芸能プロダクションを設立し、小栗旬や綾野剛を育てたが、ロスの日本人社会では、“マタ・ヤマモト”の評判は芳しくない。
小栗のハリウッド進出で、当時の記憶が呼び起こされないか危惧されるが、ただ、山本氏と違って、小栗の挑戦は俳優としてのもの。来年1年間は日本での芸能活動を休止し、女優で妻の山田優や子どもとも離れ、12月にも渡米するのではないかとの声もある。
悲願のハリウッド進出とあって、相当な意気込みが窺い知れるが、ちなみに、先にハリウッド進出を果たしている大物俳優の真田広之や渡辺謙は、2人とも離婚歴がある。以前から、女性関係のウワサが絶えない小栗だけに、ハメを外して2人の二の舞いにならないことを祈るばかりだ。
(文=本多圭)
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