映画は嘘をつくメディアである。優しい嘘で塗り固めた新人監督の社会派コメディ『鈴木家の嘘』
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こんなに笑えるシリアスドラマがかつてあっただろうか。いや、近年稀に見るヘビィなコメディと称するべきか。野尻克己監督のデビュー作『鈴木家の嘘』は、“自死”という重たい題材を優しい嘘でふんわりと包み込んだ温かい作品だ。嘘を重ねることで、崩壊していた一家が少しずつ再生していく姿を描いた倒錯的な物語に魅了される。
1974年生まれの野尻監督は、これまでに『まほろ駅前多田便利軒』(11)の大森立嗣監督、『舟を編む』(13)の石井裕也監督、『恋人たち』(15)の橋口亮輔監督らの助監督を長年つとめてきた。待望の監督デビュー作は、野尻監督の手によるオリジナル脚本作となっている。処女作には作家のすべてのエッセンスが詰まっているとよく言われるが、野尻監督の場合もそのようだ。野尻監督自身がお兄さんを自死で失っており、そのことを周囲に話すことができずにいた。この体験がモチーフとなって、本作が誕生している。
ずっと部屋に引きこもっていた鈴木家の長男・浩一(加瀬亮)が自室で首をつるシーンから物語は始まる。異変に最初に気づいたのは、昼食を作っていた母・悠子(原日出子)だった。悠子は息子を救おうと懸命にロープを包丁で切ろうとするが、パニック状態に陥ってなかなか切断することができない。夜になって大学から帰ってきた娘の富美(木竜麻生)は驚いた。息の絶えた兄と手首から血を流す母を見つけてしまったからだ。
浩一の四十九日の法要。遺骨を抱え、途方に暮れる父・幸男(岸部一徳)と富美、そして法要に参加した叔母の君子(岸本加世子)と母方の叔父・博(大森南朋)。お寺は自死者を嫌って、納骨を拒否したのだ。キリスト教以外でも、自死を認めない宗教は少なくない。4人が法要できずにいるところに、病院から連絡が入ってきた。あの日以来、悠子は病院で意識不明のまま眠り続けていたのだが、ようやく目を覚ましたらしい。4人が病院に駆け付けると、悠子は「浩一は?」と尋ねる。事件のショックで健忘症となり、あの日のことは悠子の記憶から抜け落ちていた。思わず富美は「お兄ちゃんはアルゼンチンにいる」と答えてしまう。博がアルゼンチンで赤えびの養殖業を始めており、とっさに思いついた嘘だった。
悠子の精神状態を心配して、鈴木家ではその嘘を突き通すことになる。富美が文面を考え、博が雇っているアルゼンチン駐在員の北別府(宇野祥平)が浩一の筆跡を真似た絵ハガキを悠子宛に郵送する。さらに古着屋で買ったアルゼンチン生まれの英雄チェ・ゲバラのTシャツを浩一からの贈り物だと言って渡す。死んだはずの浩一が、鈴木家では生きていることになる。しかも、引きこもりを克服して、明るくなった家族想いの長男として。悠子が笑顔でいられるよう、それまでバラバラだった鈴木家は一致団結する。長男の自死によって生じた大きな心の穴を、残された家族で懸命に埋めようとする姿はどこかおかしくて、そして哀しい。
ペーソス漂うコメディに、岸部一徳はよくハマる。岸部演じる父・幸男は息子が亡くなって間もないのに、ソープランドで騒ぎを起こす。ソープのサービス料金を持ってきた娘の富美に引き取られ、とぼとぼと自宅に帰る幸男の情けない表情が味わい深い。幸男は憂さ晴らしのためにソープランドに行ったわけではなかった。息子の部屋からソープ嬢・イヴちゃんの名刺が見つかり、イヴちゃんに一度会いたくてソープランドを訪ねたことが後日分かる。亡くなった息子が何を考え、どんな女の子が好きだったのか父親として知りたかったのだ。父・幸男もまだ息子の死を受け入れられずにいる。
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