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“生涯ドルヲタ”ライターの「アイドル深夜徘徊」vol.18

『高校教師』から『中学聖日記』まで――教師と生徒の恋愛ドラマを読み解く

 それでは次に、それぞれが放送された時代、社会はどのような時期だったかを見ていこう。

『高校教師』が話題となった93年、世の中は何か閉塞感のようなムードが漂っていた。バブルの崩壊によって景気が悪くなり、日本で政権交代が起きるなど、「今までにないものを求める」気持ちが強かったように思う。そんな中、暗い中にもわずかな光を見つけたいという気持ちが、視聴者の中に存在していたのではないだろうか(ちなみに、このドラマが放送されていた時期に、有村架純は生まれている)。

『魔女の条件』が放送された99年は、言うまでもなく「ノストラダムスの大予言」による終末思想が高まっていた時期だ。ドラマの主題歌「First Love」を歌った宇多田ヒカルのブレイクや、モーニング娘。の「LOVEマシーン」のヒットなど、新しい時代の到来を感じさせた時期でもある。

 それでは、『中学聖日記』が作られている現代の状況はどうだろう? 政権は安定し、ネットのインフラも充実、昔に比べれば実に便利な世の中になった。しかし、将来に対する漠然とした不安は拭えない。そんな中でこのドラマは生まれた。

 3つの時代に共通していえるのは、日本人が不安や苦しさを感じる中で作られているということだ。これは単なる偶然だろうか……?

 これらのドラマを表する中で、しばしば「純愛」という言葉が使われる。人間は、心の中に多くの打算や配慮を抱えて生きている。恋愛も、結婚もそうだ。「この人が好き、ずっと一緒にいたい」そんな気持ちがありながらも、「この人といれば経済的に安定するだろう」「この結婚は自分のキャリアに有益だ」などの感情も必ず入ってくる。

 それらを表現するのに使われるのが、婚約者の存在だ。『高校教師』では渡辺典子、『魔女の条件』では別所哲也、そして『中学聖日記』では町田啓太が、それぞれ婚約者として登場する。皆、主人公にとって有益な人物だ。

 そんな人たちをある意味“裏切って”まで、生徒との恋愛に走る。そこで「純愛」を際だたせることができるのだ。

 つまり、「生徒と教師」という、話題になりそうな設定は、あくまでもドラマを見せるための「仕掛け」でしかない。制作者側が本当に描きたいのは、打算や思惑を超えて、お互いに惹かれ合う魂の物語なのだ。それこそ、混迷する時代の要請によって生み出されたものといえるだろう。

 その証拠に、先の2作品では、いずれも「命」について考えさせられるエピソードが描かれている。『高校教師』のラストは、二人の心中を思わせるシーンで終わったし、『魔女の条件』では、未知のお腹に宿った命が失われてしまうというエンディングだった。

「教師と生徒が恋に落ちる」、そんなセンセーショナルな設定に苦情を言いたくなる気持ちもわかる。しかし、そのドラマが生まれた思いや、時代背景を考え、そこに描かれた本質を見極めることこそ必要なのではないだろうか?

『中学聖日記』は、今のところ「命」にまでは言及していない。しかし、批判が多いであろうことを承知の上で、それでも制作者は挑んでいることと思う。今後、物語がどう動き、どんな魂の物語を見せてくれるのか、それが楽しみなのである。

(文=プレヤード)

最終更新:2018/12/18 16:05
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