いったい予算はどれだけ? 『月刊PLAYBOY』「第1回PLAYBOYドキュメントファイル大賞」掲載号
#雑誌 #出版 #昼間たかしの「100人にしかわからない本千冊」
ノンフィクションとかルポルタージュとかいわれるジャンルの話をすると、たいていの人が「冬の時代」とか「マイナージャンル」などという。確かに、そのことは否めない。
なにせ、ノンフィクションを掲載してくれる媒体なんて、ほとんどない。紙媒体はほぼ全滅した。
だいたい、ノンフィクションをコーナー分けしている書店なんてのも今は少ない。大きめの書店にいけば、まだそんなコーナーもあったりするが、その棚をみれば、たいていの人がノンフィクションを誤解しそう。凄惨な事件や裏社会、あるいは当事者の告白とか床屋政談的な本が「ノンフィクション」として並んでいるのだから。
それでも、今年刊行された広野真嗣『消された信仰「最後のかくれキリシタン」長崎・生月島の人々』(小学館)のように、年に数冊は、これでもかと取材を重ねた良質なノンフィクションは絶えない。
つまり、そういう作品を書こうとする意志を持つ人は、まだわずかながらに存在しているということだろうか。もしも、熱い意志を持とうとするならば、読書の方向性は過去へと遡る。もっとノンフィクションが熱かった時代へ。当たり前である。「冬の時代ですな~」などと評論家みたいな発言をしている暇があったら、もっと取材して書いたほうがいい。
というわけで、まだ見ぬ作品をと古本屋をめぐっていたりする日々。ふと見つけたのは『月刊PLAYBOY』(集英社)の1981年7月号。『月刊PLAYBOY』自体、古本屋ではけっこう揃っている雑誌なのだが、なかなかすべては手元に置けない。グラビアページのせいでプレミア価格となっていたりするからだ。
そんな値段も関係なく、買わねばならぬと思ったのは、この号に「第1回PLAYBOYドキュメントファイル大賞」の受賞作が掲載されていたからである。この賞、わずか4年で終わった公募制のノンフィクションの賞なのだが、いろいろ濃い。
この第1回で最優秀賞に選ばれているのは、今は時代小説の大家になっている佐伯泰英の『闘牛士エル・コルドベス 1969年の叛乱』。これ以前から、ノンフィクションライターとして活躍し書籍も上梓していた佐伯であるが、なるほど時代小説のリアリティの原点は、ここにあったのかと納得。受賞作ということで原稿用紙で220枚分を一気に掲載しているのだが、最近のライトな読み物に慣れていると体力の消耗を感じるくらいに文章が濃いのだ。
また、ほかの受賞者を見ると今年死去した恵谷治の名前も。そして、この作品を選ぶ審査員に安部公房、大島渚、小田実、開高健、立花隆、立木義浩、筑紫哲也、藤原新也を招いている。受賞作もハイレベルなのだが、審査員がさらにハイレベル。いったい、この賞のプロジェクトだけで、どれだけ予算を使っているのだろう……。
これを読んでみて改めて感じたのは、ノンフィクションが「事実を取材して書くもの」ではなく「取材した事実をもとにして書くもの」であるということ。取材の中から、いかに物語を組み立てていくのか。事実に基づくというフィクションに対する優越性が、そこにはある。
それに比べると確かに、現代は後退している。結局「冬の時代」とかいっても、読者が離れたんじゃない。書く方が負けているんだ。そんなことを考えた。
(文=昼間たかし)
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