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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 岡長平が綴る“岡山ずし”のうんちく
昼間たかしの100人にしかわからない本千冊 46冊目

この味ももはや幻の存在に……岡長平『おかやま庶民史 目で聞く話』下

『おかやま庶民史 目で聞く話』(日本文教出版)

 さて、前回から続いて“岡山ずし”の蘊蓄である。

 それぞれの家で、異なった作り方を楽しむのが“岡山ずし”の基本。それでも、本当に美味いのは、これだというコダワリもある。
 岡長平によれば、まずこだわるのは米だ。

 * * *

御飯は、絶対に「雄町米」でなければならない。

 * * *

 雄町とは、岡山市を流れる旭川の東にある地域。「雄町の冷泉」というよい湧き水がとれる場所として知られている。その地名を冠した雄町米だが、今でほとんど栽培されていない。もともと、この米は良質な酒米として広まったものだ。米としての品質もよいが、雄町の水のよさもあったのだろう。

 そんな雄町で生産されている雄町米は、今ではわずかなものだ。そして、今では軽部産が最高級といわれるが、酒米としても入手は困難。ちょっと使ってみようかと思っても、どこにも売ってなどない。

 この時点で、岡長平が「美味い」と認めた味は、再現が困難なのである。

 その後も、もう21世紀の今では難しいことが続く。

 * * *

牛蒡は足守、干瓢は掛け干しにした邑久郡産に限る。蕗は“野蕗”、それも高島辺の野生のもの。筍は峠(東山)、松茸は熊山(和気郡)

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 これも、どこまで可能かと調べて見たが、ほぼ不可能である。岡山でも年寄りに聞くと足守の牛蒡は確かに美味いという。その美味さは飛び抜けていて、岡長平の生きた時代にも高級品であったという。今でも栽培はされているが、やはり高級品で、市場に出回ることもほとんどない。

 さらに難しいのは、万金を詰んでも買うことのできないその地の野蕗。高島はまだ、畑の多い岡山市の郊外であるが、さすがに野生の蕗が生えているところは見たことがない。もし畑の片隅に生えていても、かつてと同じ味が出るとは思えない。

 さらに海のものとなると、また難しい。

 岡長平の本を読んでいると繰り返し出てくるのが、児島湾で獲れる魚の美味さである。

 児島湾というのは、江戸時代から干拓が始まったが、明治になり、より大規模な工事が行われるようになった。戦後には、湾の一部を閉めきって淡水化をする大工事も行われ、現在の地形が生まれたのだ。

 その時代の児島湾というのは、今よりも大きく、浅い海が広がる漁場であった。そこで獲れた穴子や鰻、蝦などは、それはそれは美味かったという。これまた、今では食べることのできない味である。

 そして、藻貝である。これが入った“岡山ずし”をつくるのは、だいたいが妹尾や早島あたりに縁のある家。ああ、鰻をいれると児島か邑久か、海のほうの出だと、一目瞭然である。

 この藻貝にしても、鰻にしても、岡長平の本では干拓が進んで美味しくなくなったという記述が繰り返される。

 つまり、この本に書かれた至高の“岡山ずし”は、すでに再現できない幻となってしまったのだ。

 本が出てから60年あまり。たったそれだけの間に、もはや失われた味のどれだけ多いことか。

 でも、このように書き残す人がいなければ、味が失われたことすらも、誰も気づきはしなかったのではなかろうか。

 それを踏まえて、せめてできるところまで味を再現してみたいと思う今日この頃である。
(文=昼間たかし)

最終更新:2019/11/07 18:36
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