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日刊サイゾー トップ > カルチャー > 本・マンガ  > 人生を燃やしたい人だけが読むべき本

オッサンが読んで感動してちゃダメだ。いま人生を燃やしたい人だけが読むべき本。外山恒一『全共闘以後』

 そう、過去の歴史を紐解くと、そんな人はいくらでもいる。19世紀、ロシアの革命家・ネチャーエフは典型例。その著書である『革命家のカテキズム』の一文「革命家とは予め死刑を宣告された存在である」で、彼の名前は歴史に残っている。ようは、目的のためにはどんな手段も正当化される。だから、自分の思うがままに、やっていいのだという具合。同時代の人士であるマルクスやエンゲルスは「こいつ、マトモじゃないわ」と痛烈に批判。同類に近いはずのバクーニンもドン引きして、たしなめる書簡を記している。

 日本においては、石原莞爾こそ、その類い。満州事変を経て、現在は傀儡国家と主張される満州国をつくったのは、間違いなく過去の功績。軍人とはいえ、いわば役所の一部署の人間が、勝手に国家の立ち上げまで至ったのだから、ダイナミックすぎる。でも、石原の目指した全体像からすれば、これはまだホンのはじまり。『スターウォーズ』なら、まだタトゥイーンから出てもいない。なにせ、彼の未来図には最終戦争までが、明解に描かれていたのだから。

 世の中に、あるいは自分の旗を立てたところに「これじゃないんだ」と、意志の赴くままに、度肝を抜く実践を願う情熱。今、日本において、それはすべて過去の遺物かのごとく語られている。1960年代末の学生叛乱を最後に、もうそんな時代は終わったのだと。

「そんなことはない。情熱は、いつの時代も途切れることがなく続いてきたのだ」

 それが、外山がこの『全共闘以後』で語りたかったベースなのだと筆者は看破した。

 すでに、学生叛乱の時代から50年あまり。その間、何が起こったのか。書き記していえばページが増えるのはしようがない。

 しかもそれでも書き切れない。外山が筆者を呼び出したのは、1990年代末からの動向を書き切れていない部分があるので、引き続き取材をしているからという理由であった。

 この、一年に何冊も出ないであろう情報量に満ち満ちた一冊。「お、外山という人はこんな本も出しているのか」と、口コミやネットで興味を持って購入したなら、じっくりと読むことはオススメしない。まずは、流すようにパラパラとページをめくればいい。

 それだけでわかるのだ。現状に満足せず、なりふり構わずに動いたことで社会現象を生み出してきた。とりわけ若い世代の情熱は、不変であることが。

 そうして、めくりながら気になったキーワードに付箋でもつけてみて、そこを後からじっくりと読めばいい。歴史から学びを得るときに、自分の好きなところから広げていくのは常道だ。サブカルな人は、妙な政治本かと思いきや、糸井重里やいとうせいこうの名が出てくる頁に興味を惹かれるだろう。音楽が好きな人は、ブルーハーツやタイマーズに惹かれる。マニアな人は、政治党派のエピソードが記されたページに赤線でも引くだろう。

 そして、そこから読んでいくうちに、次第に気づくのだ。すべては、つながっているということを。

 最近の世の中にありがちな現象。それは、音楽やらマンガやら、消費される表現に政治を持ち込むななどと言い出す人。それは、どだい無理な話である。直接的な表現は別として、すべては影響し合い、惹かれ合っているのだ。そう、筆者は実写作品からアニメまで、面白ければ無分別に見て楽しむ。ところが、世の中にはアニメは観るけど実写は見ない人も多い。その逆も然り。でもどうだ。その製作を仕切るプロデューサーのような人たちは、そこを分別したりはしていない。同時代において、何かを成し遂げようとした時に「これと、あれは別ですよ」と区別するのは不可能。ほんとに情熱に満ちた人は、たまたま、人生の紆余曲折の結果として、旗を立てて燃えているに過ぎない。そんな無数の人々が、どこかで現状を変えようと燃えている。それは、いつも続いてきた。

 安定志向の現代において、自分の置かれている状況に抗うことは冷笑されがちだ。「厨二病」だとか、なにか科学的な用語を用いて、人格的な障害があるかのように「分析」まで、加えてくるヤツもいる。でも、抗うことは恥ずかしいことでもなければ、間違っていることでもない。自らの意志の目的で、走ろうとする人はいつの時代でも、不変であることを、この本は教えてくれるのだ。

 今の30歳より下の世代が、この本を読んで、そのことに気づいたならば外山が本を書いた価値がある。

 かつて、革命を目指すことに軸足を置いていたこともある筆者は、この本の事績の一部をリアルタイムで体験している。正直、読めば「こうすればよかった」「なんでこうしたのだろう」と思うところもある。登場する名前の中にも、会えばバツが悪くなりそうな人もいる。はたまた、いまだ「この野郎」と思う名前もある。でも、そんなヤツらは実は少数派。本当に、情熱を燃やした者であれば、その時掲げた目標が達成できようができまいが、互いに「今は、何をしているの?」から、話が始まる。そして、新たなステージでの戦いを語るのだ。

 でも、残念なことにそうはならない人もいる。「あの時俺は……」と、過去の栄光を語り、いまだに若者に混じってデモの最前列に存在価値を見いだす醜悪な元リアルタイマーたち。もしも、そうしたヤツらが、この本を語り始めたら、外山の努力は無に回帰する。

 筆者の世代ができることは、自分の体験した「俺中心歴史観」を語るのではなく、2,600円+税もする高い本を、何冊も買って若い世代に配り歩くことくらい。

 放っておいても、この本のパワーは情熱も失い、Twitterとかで現状に反抗しているごっこをしている「元」がつく、薄汚い老中年を刺激するだろう。そして彼らは「アレオレ話」で、過去の栄光を語りウザがられるのだ。

 そうした醜い姿に「ああは、なってはいけない」と思うこと。そこから、変革の第一歩が始まる。飲み屋で自慢話をする金があるなら、この本を買って配れ!!
(取材・文=昼間たかし)

最終更新:2018/09/19 23:00
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