古参キャストの死、若手の独立……老舗ニューハーフクラブ名物ママ(70)と新宿二丁目の50年
いまや日本のみならず、世界にその名を知られ、外国人の姿も多く見かけるようになった新宿2丁目。ゲイバー、ニューハーフバー、レズビアンバーなど、LGBT関連の飲食店は400店舗以上ともいわれている。そんな場所で50年にわたって営業を行っているのが、ニューハーフクラブ「白い部屋」だ。8月26日放送の『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)では、同店を2年間にわたって密着取材。老舗ニューハーフクラブの裏側からは、いったいどのような世界が見えてきたのだろうか?
1968年、ゲイとして生きるために地元から上京してきた「白い部屋」のコンチママ(70)は、水商売や日雇いなどの仕事で食いつなぎながら、弱冠20歳にして同店をオープン。68年といえば、新左翼運動が盛り上がりを見せ、永山則夫が連続ピストル射殺事件を起こしていた時代。当時の2丁目には、ニューハーフやゲイが営むバーはわずか8軒しか存在しなかったという。そんな時代から、彼女は50年にわたって、新宿2丁目のカルチャーを作り上げてきたのだ。同店の名物は、10人以上のキャストたちが踊るショータイム。過激なセクシーショーからコミックショーまで、さまざまな客を満足させている。
2016年から行われた「白い部屋」への密着取材だったが、撮影クルーが密着してすぐ、店を悲劇が襲う。古株キャスト・梨花(享年58)が、旅行先の旅館で心臓発作により急死したのだ。200名以上が偲ぶ会を訪れるほど、客からもスタッフからも愛されていた梨花。コンチママも、半年を経てもなお、その死を「いまだに受け入れられない」とうつむく。同じく古株キャストであるかんた(57)は、1年を経て、ようやく次のように前を向くことができた。
「次のことを考えなきゃいけないし、それでも生きていかなきゃいけないじゃないですか。悲しみは胸に秘めたまま。泣いてられない」
さらに、番組では別の形での「別れ」も描く。最年少キャストとして客の注目を集めていた20歳の未来(みく)が、突然店を去っていった。辞める際にあまり多くを語ることはなかった未来は、その後、数カ月にわたって自分を見つめ直す。そして、「やりたいことが見つかった」という彼女は、17年夏、歌舞伎町にニューハーフバー「MIXTURE」をオープンした。開店当日、多くの客で賑わうお店の中には、白い部屋の先輩たちもその開店を祝いに駆けつけ、カウンターは彼女たちに独占されてしまった。開店を賑やかしてくれる先輩たちの姿を見ながら、新しくママとなった未来の表情はとても誇らしげ。別れによって、「白い部屋」が生み出したニューハーフカルチャーのDNAは広がっていったのだ。
コンチママと共に13年にわたって苦楽を共にしてきたかんたが「あの街(2丁目)で生きてきてありがたかったけど、白い部屋は特にありがたい」と感謝の気持ちを語るように、半世紀の長きにわたって営業を続けてきた「白い部屋」は、ほかに居場所のないニューハーフたちにとって故郷のような場所なのだろう。そもそも、コンチママは、親にゲイであることをカミングアウトできなかったことから、逃げるように東京へとやってきた人物。誰よりも、ゲイとして生きることの厳しさを知っているのだ。
LGBTに対して寛容な時代になりつつあるとはいえ、いまだ、ニューハーフやゲイという世界が世間から認められているとは言い難い。その逆風をものともせず、連日賑やかなショーを繰り広げる「白い部屋」のキャストたちも、店を出ればひとりの人間にすぎず、その姿からは、逆風を受ける者だけが持つ「切なさ」がにじみ出ている。しかし、そんな切なさをひた隠しながら、今夜も彼女たちは、セクシーでコミカルなショーで客を魅了していくのだ。
(文=萩原雄太[かもめマシーン])
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