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日刊サイゾー トップ > エンタメ  > さくらももこの意外な素顔

さくらももこ、音楽好きで尊敬するマンガ家はガロ系……知られざる”サブカルクィーン”な素顔

さくらプロダクション公式ホームページより

 国民的マンガ『ちびまる子ちゃん』の生みの親である漫画家・さくらももこ氏(享年53)が8月15日に亡くなっていたことが27日に所属事務所の公式HPで発表され、その突然の訃報に日本中が悲しみに暮れている。

 この知らせを受けた、アニメ『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ系)でまる子の声を担当している声優・TARAKOは「『ご冥福を』とか言えないです。ただただ、頭の中がぐちゃぐちゃです、はい。病気だったこととか、本当になにも知らなくて ごめんなさいしかないですごめんなさい」と混乱する胸の内を吐露している。大切な仕事仲間のTARAKOですら病気を知らされていなかったということは、さくら氏が極秘に闘病をしていたことが窺い知れる。

 親交のあった作家・吉本ばなな氏は報道陣に対し、「青春を共に過ごしたももちゃん、闘病は知っていましたが、いつも元気にメールをくれるから回復を信じていました」と語っていることから、さくら氏が本当に一部の親しい者にしか闘病を明かしていないことがわかる。

 自身の闘病を徹底的に秘密にしたことについて、「『ちびまる子ちゃん』のイメージを本当に大切に思っていたのでしょう」と語るのは、ある出版関係者だ。

「さくらさんが30代以降、公式に顔を出さなくなった理由が“ちびまる子ちゃんのイメージを崩すのが嫌だから”という話は出版関係者の間では有名な話です」

 確かに、8月28日放送の『とくダネ!』(同)では、笠井信輔アナウンサーが実写ドラマの撮影期間中にさくら氏が 一度も撮影現場に現れなかったことを明かしており、その理由を「 アニメのイメージを大事にしたい、 その思いが強くて本名も伏せておられました」と語っている。

 このように近年の素顔はベールに包まれているさくら氏だが、実は1991年10月から1年間、『さくらももこのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)を担当するなど、メディアに露出していた時期があるのだ。

「TARAKOそっくりのかわいらしい声と話し方で、楽しそうにトークしていました。当時、さくら氏は26歳。89年に結婚した当時の夫であり『りぼん』(集英社)の担当編集者だった宮永正隆氏と一緒に出演するなど、おしどり夫婦ぶりを見せていましたね」(同)

 当時、さくら氏は小山田圭吾と小沢健二の伝説的ユニットであるフリッパーズ・ギターの大ファン。それゆえ、フリッパーズ・ギターの解散の第一報を91年10月29日の放送回で伝えるなどしており、コアな音楽ファンからも一目置かれる存在でもあった。

「さくら先生はかなりの音楽好きで、大ファンである小山田さんや大滝詠一さんに『ちびまる子ちゃん』の主題歌の作曲を自ら打診したのは有名な話です。そのおかげで、大滝さん作曲の渡辺満里奈さん『うれしい予感』や小山田さん作・編曲のカヒミ・カリィさん『ハミングがきこえる』といった名曲が生まれたわけです」(音楽事務所関係者)

 ほかにも「ちびまる子ちゃん」の主要キャラである丸尾くんと花輪くんの名前が敬愛する漫画家の丸尾末広と花輪和一から名付けられているなど、実はいわゆる“ガロ系”といわれるサブカル系漫画への造詣が深いことで知られている。

「さくら先生は長年、東京の高円寺に住んでいたりなどしていたりもして、業界ではかなりのサブカル好きとして知られていました。国民に支持されるメジャーな作品を生み出しながら、そういった文化的な面を作品に反映してカルチャー好きからも支持されていた、稀有な漫画家さんだと思います」(出版関係者)

 偉大な漫画家・さくらももこ氏に心からの哀悼の意を表したい。

最終更新:2018/08/29 09:33
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