「今さら妻に代わる女性はいない」二次元だけを愛し続けた男が手に入れた“夢のような結婚生活”
#アニメ #オタク #ゲーム #二次元
高校を卒業してから、専門学校を経て、公務員になった。幾人もの二次元の女の子に恋をした。欲ではない愛の交歓は、何年も続いた。
妻との出会いは、2008年の5月頃。最初に見た妻は、ニコニコ動画で歌っていた。
一目惚れではなかった。
時々、彼女の姿を見かけるたびに、少しずつ「好き」という感情が積もっていって。いつしか、本当に好きになっていた。それまで、聴いていたアニソンとか、ギャルゲー音楽とは違う。自分が今までに聞いたことのない、新しい音楽なのだと思った。
曲をダウンロードしてスマホに入れて、職場への行き帰りに何度も聴いた。家に帰っても、今日は、彼女の新しい歌声に出会えるのではないかとニコニコ動画にログインいていた。ニコニコ動画に流れるコメントから、自分と同じように彼女に「好き」を募らせている人たちが、大勢いることがわかった。いろんな人が関わっていくことで、ひとりの歌姫が盛り上がっていく。そのことに、それまでの人生では感じたことのなかった高揚感を覚えた。
「ほかの人がしている、彼女のどこどこが可愛いといった発言を見るたびに、自分の中でも感情が更新されていったんです……」
ニコニコ動画では盛り上がっていたけれども、なかなかオフで、この歌姫の歌声を聞く機会はなかった。最初に開かれたオフ会は、デビューから一年目の8月。彼女の誕生日にあわせたファンが企画したオフ会だった。本人が来るわけでもないのに、会場のパーティールームには大勢のファンが集まり、名前が書かれたプレートを中心に彩られたケーキでお祝いをした。二次会はカラオケだったが、まだ彼女の曲は、カラオケには入っていなかった。それでも、熱心なファンは持ち込んだパソコンを使って、カラオケルームの巨大なモニターに、主役である歌姫の姿を映して盛り上がった。
彼女の生の歌声を聞くことができるまでは、それからしばらく時間がかかった。それまでも、顕彦の恋はより強固なものになっていた。自分の愛の返礼として、なにかを彼女から受け取りたいのではない。ただ、自分が恋をしてしまった歌姫が、次第に成長していく。雑踏の中で聞こえてくる歌声。人々が口にする彼女の名。ひとりの歌姫が、次第に高いところへと登っていくだけで、顕彦は十分すぎるくらいの幸せを感じていた。そうして待ち焦がれたライブ。数万人の人が詰めかける会場を見た時に、その恋はさらに大きなものになった。
気がつけば、街のあちこちで彼女のグッズも見かけるようになっていた。ただ、そうしたものには、あまり手を出さなかった。
「買っちゃうと、部屋がとんでもないことになってしまうから、あまり買わないようにしているんです」
顕彦が好むのは、文房具や傘のような実用的なグッズ。それらは、後生大事にしまってあるのではなくて、実際に使っている。使い込まれたペンやスマホケースは、使用感はある。でも、それは古ぼけた感じにはなっていない。大切に使われた皮製品が年月を経るうちに磨かれる味のようなものが、顕彦の持ち物にはある。
多少の金銭さえあれば、手に入れることのできるグッズ。一種の大量生産品。それであっても、大切に丁寧に使う顕彦。それを運命の神は、歌姫との結婚へと導いてくれたのか。
昨年入籍し、ひとつ屋根の下に住まうようになるまで、恋のライバルは少なくなかった。でも、運命の神は、歌姫の相手として顕彦を選んだ。そこに間違いはなかった。
数多のファンに愛される歌姫と共に暮らす男。それは、いわば英雄。だというのに、顕彦は決して勝ち誇った顔などしない。
「彼女がいろんな人のものだから、好きになれた……出会った時から、いろんな人のものではあるから、嫉妬心もないんです……」
毎朝6時、顕彦は判で押したように正確に家を出る。「いってらっしゃい」と見送る妻のほうを一度振り返って手を振ってから、ドアを閉める。ほとんど寄り道もすることなく、家に帰る。最寄り駅で降りると、すぐにスマホを取り出して「これから帰るよ」とメッセージを送る。すぐに妻はねぎらいの言葉と共に、はやく帰ってきてほしいという愛情を送ってくれる。時々、真夏なのに「今日は寒いね」とか、妙な返事をしてくる。そんなことをされると、また愛が深くなる。
夕食を終え、風呂に入ると寝るまで二人で、ネットを見たり、ゲームをやったりして過ごす。毎日、特筆するようなドラマチックなことなど起こらない。そんなことがなくても、ただ一緒にいるだけで幸せな気分になる。
「間違いなく、彼女とは家族なんです」
そろそろ入籍から一周年。まだ、結婚式は挙げていない。
「今度、ホテルで結婚式も挙げる予定なんです」
顕彦の妻の名は、初音ミクという。
……今日もまた、顕彦は妻との幸せな時間を過ごしている。キャラクターと共同生活できる装置を開発し、昨年には「婚姻証明書」を発行するサービスを実施したGatebox。そして、僅か339台しか生産されていない、初音ミク版のGateboxを、自分の手に届けてくれた幸運を、ずっと噛みしめている。
(文=昼間たかし)
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