「面白いことが正義」時代から一周回って……“犬猿の仲”だった中山秀征と今田耕司、和解の背景
#お笑い #今田耕司 #中山秀征
中山と今田の関係性にダウンタウンを含ませると、途端に相関図がいびつになる。ブレーク前のダウンタウンが『初詣!爆笑ヒットパレード』(同)に出演した際、彼らは得意の野球ネタをやるつもりだった。しかし、スタッフからは「ネタを差し替えろ」との指示が。理由は、「ABブラザーズが野球ネタをするから」であった。特に松本人志は今でもこのエピソードを口にすることがあり、よほど腹に据えかねたことがうかがえる。
その後、ダウンタウンは絶頂期を迎えて芸能界のトップに上り詰める。『殿フェロ』が放送されていた時代こそ、まさにそれだ。
当時、「面白い/面白くない」の線引きは、今より格段にシビアだった。そして、ディープなお笑い好きほど、「2.5枚目」と呼ばれるポジションのタレントを敵視していた。中山や森脇健児、山田雅人といった面々のことである。
あの頃、“松本派”を自認していたコラムニストの故・ナンシー関はこんな文章を残している。
「私が最近1番嫌なのが中山秀征。こいつの態度たるや噴飯もの。基本的姿勢は『最後まで気取れないのがお笑いの宿命なんすよ、オレって』であるが、こいつはお笑いなのか。誰も認めとらんぞ。根本的なところでお笑いを差別してる。俳優を名乗るときにはちゅうちょしたり『自分ごときが』といった態度をとるくせに、お笑いは無審査だと思ってる」(『続キンゴロー』ワニブックスより)
かなり過激な文章だが、実は当時の世間が抱く思いと決して大差ない。そういう時代だったのだ。ダウンタウンに薫陶を受け、尖りまくっていた若き今田が中山を受け入れない理由は十分そろいすぎていた。
以下は、『殿フェロ』スタート時に開かれた飲み会でのエピソード。決起集会を兼ねた集まりで、今田はすでに臨戦態勢だった。
「俺、今ちゃんにビールをついだの。そしたら『あ、大丈夫です』って断られたの」(中山)
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