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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 誤報と偽ニュースの狭間に【後編】

“誤報”と“フェイクニュース”の狭間に──塩田武士『歪んだ波紋』が投げかけるもの【後編】

(前編はこちら

 作家・塩田武士が上梓した『歪んだ波紋』は、ネットによって無秩序に広がりつつある情報社会を紐解く示唆に富んだ作品だった。

 日刊サイゾー編集部という立場から現代におけるメディアの在り方について話を伺った前編に続いて、後編は創作秘話を聞く。

──今作には、誤報のパターンがたくさん並んでいます。一般の読者からすると、誤報って「ありえない」という感覚だと思うんです。それを、この小説を読むことで「誤報って、こんなふうに出るのか」という理解ができるような気がしていて、それを書いていただいたことは、我々としてもありがたいという気持ちです。

塩田 結局、人間の弱さっていうところに行き着くんですよね、誤魔化したかったりという。人間が作っているものなので、必ず間違える。

──我々の仕事を理解してもらえれば、読者のみなさんも少しは優しくなってくれるのではないかと。普通の人がやっているんだなと。

塩田 同じ人間なんだというね。物を書いて発信しているだけで、急に遠くに感じられたりしますからね。この中に出てくるウェブニュースも、けっこう普通の人間がやっている。役割って、あると思うんですよね、やっぱり。

──新聞記者になったのは小説家になるためだと伺いました。そこで誤報を打った経験だったり、つらいことがあったときも、リアルタイムで「いつかネタにしてやろう」という思いはあったんですか?

塩田 さすがに菓子折りを持って謝りに行ったときは、それはなかったです。深く反省しています。でもどこかで、記者って悲惨な経験をたくさんするじゃないですか。それはオイシイと思ってメモってました。この中で大手の記者が言う「近畿新報に抜かれても怒られないんだ」っていうセリフがあるんですが、これは共同通信のやつに言われたままですよ。「神戸に抜かれても怒られない」って。

■「バブル=某大物事件師」との決別

──物語の軸として、バブル時代のフィクサーと言われた某大物事件師をモデルにした人物が出てきます。

塩田 ひとつの虚像の象徴として書きたかったんですよね。連作短編の記号として、「これはすべてつながっている話ですよ」ということで、何かひとつ欲しかった。今回、安大成(アンデソン)という名前にしていますが、彼に関する情報を、ほぼみんなが知っているレベルのモノに浅くした、薄くしたんです。「バブル=某大物事件師」というのは僕の中にもあったんですけど、それは先入観だったなと。『罪の声』を書いたときにグリ森(グリコ・森永事件)に当たって、今回また彼の事件に当たって……としている間に、引きずられていたんです。これじゃあ結局、一緒のことをやろうとしているということに気づいて、虚像に惑わされ続けているという表現にしました。

──すごく陰謀論的な話なのですが、サイゾーのオーナーって、脳科学者の苫米地英人さんなんです。経営と編集は完全に分かれていますし、そもそも編集者のほとんどが苫米地さんと会ったこともないんですが、ごく一部では「サイゾーの媒体は全部苫米地の息がかかっていて、苫米地の意図するフェイクニュースを流している」と、まことしやかにささやかれていて。

塩田 この「某大物事件師」って、面白いエピソードがいっぱいあるじゃないですか。最初はそれをどう(フェイクニュースに)からめるか、みたいなことをずっと考えていたんですよ。以前から年表も作っていましたし。で、出てきたでしょ、3媒体くらいに。小説家的には、もう書けなくなってしまいましたよね、見えちゃったから。

──あるドキュメンタリー番組に、がっつり映してました。

塩田 最初に週刊誌に出たとき、あ、マズイと思ったんです。もっと深く書こうと思っていたので。でもそこが、『罪の声』のグリ森みたいなものに引きずられていたんだと思って。メディアに出られたことで、もうダメだとも思いましたが……。

──なるほど、ひな形と完成形のところが、すごくよくわかりました。

塩田 あのままだったらこの小説にはなっていないので、ありがたかったというのはありますよね。あともうひとつ言えば、次の長編とかで、価値観の反転を狙っているというところもあって。

──価値観の反転。

塩田 今回は、さっき申し上げたように、バブル回顧主義みたいなものに飽きてきているところがあって、また別のバブルができて、同じ過ちを犯して転落する人が出てくるのだとすれば、その前に書けるものがあるのではないか。そこで「バブル=某大物事件師」を書いていたら、もうあかんわと。もっと勉強しないとダメだなとも思ったし、ホントにギリギリなんですよね。次に出すものに安大成が出てくるかもわからない。そのとき書きたいと思って取材し始めたものとリンクするかどうか。リンクしたら、こっちで今まで一生懸命探していたものを反転して作れますよね。

──今回使えなかった資料を裏返して使えるという。

塩田 そうなんです。そこも難しいところですし、読者とは関係ないですし。安大成に関しては、そういうことなんですよ。

──面白そうな仕事ですね。うらやましいです。

塩田 そんな、ホントにくだらないことばっかり考えてますね。

──小説そのもの、ジャンルとしての小説という媒体が社会に何を与えるべき、みたいな意識ってありますか?

塩田 基本的に、社会派小説というのは、「現状の分析」と「仮説の提唱」と「未来予想図の提示」っていうのができるんじゃないかと思っています。それをリアリティを持って、虚実の境目がわからないくらいの世界観を作って、虚実の壁を道にして読者に歩いて行ってもらえる。最終的には自分が設定したテーマについて考えてもらっているというのが理想ですね。そうすることによって、今一番大切な、考える、自分の頭で考えるっていうことをメッセージとして伝えられるのが小説なんじゃないかと思っているんです。すぐに情報を扱ってしまう、5分動画でさえ見てもらえない、こらえ性のない世の中になっている中で、どこかでそれに疲れてしまって、本当に深いものが欲しい、きちっとした思考の軸が欲しいというときに、本というものが、すごい情報の圧縮力で、確かにそこにあると気付いてもらえれば、活字の価値はあるかなと僕は信じています。
(取材・文=編集部/撮影=尾藤能暢)

『歪んだ波紋』(講談社)

●しおた・たけし
1979年兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒。新聞社勤務中の2010年『盤上のアルファ』で第5回小説現代長編新人賞を受賞し、デビュー。2016年『罪の声』にて、第7回山田風太郎賞受賞、「週刊文春」ミステリーベスト10 2016国内部門で第1位となる。他の著書に、『女神のタクト』『ともにがんばりましょう』『崩壊』『盤上に散る』『雪の香り』『氷の仮面』『拳に聞け!』『騙し絵の牙』がある。

最終更新:2018/08/15 13:29
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