“誤報”と“フェイクニュース”の狭間に──塩田武士『歪んだ波紋』が投げかけるもの【前編】
#本 #インタビュー #メディア
■「許しという概念」がなくなってきている
塩田 あと、情報の流れがあまりに一気に変わってしまったことで一番気になっていることのひとつとして、「許しの概念」がないままニュースが崩れていって、各々が自分で発信できるようになってしまっていること。最近ですと、16歳当時にヘイトツイートをした役者さんだとか、若いころにあるニュースをツイートした原作者さんが、その過去のツイートが原因で契約解除になったり、アニメ化がなくなったり。僕はそれを見て、16歳の子が書いたもので、現在反省して謝っている人を、そこまで追い詰めるんだっていうことがショックだったんですよ。情報を何もわかっていない子どもが発信したことについて、大人になって責任を取れというのは、ちょっと厳しすぎないかな。どんどん自分たちで首を絞めていくことになるのが怖かったんです。
──確かに、昔であれば個人のノートに書くようなことが、お手軽に発信できるようになって、ニュース価値を持ってしまっている。
塩田 記録できてしまう、拡散されてしまうことが不幸だなと思ったんです。物理的に遮断できたものが、画面の向こうの世界で遮断できなくなっている、質感がなくなる世界というか、そういう怖さがあって。
──一方で伝える側には、その情報を発見してしまったときに「これは炎上するぜ……!」という恍惚にも似た感情があることは否定できません。お金以上に、世の中にそれこそ波紋を投げかける快感というのは、この仕事をしている人なら、少なからずあると思うんです。報道側は、どうしたら彼らを許せるのでしょうか。
塩田 直接取材を、いかにできるかだと思いますね。ツイートだけ見て記事にするのではなく、彼がなぜそんなことを書いたのか、彼は今どんな気持ちなのか、彼の言葉で直接取材して書くことによって、人間性が見えると思うんです。それは、時がたってからでもいい。みんなの怒りが鎮まっているときにもう一度、彼の声を聞いてフォローの記事が書けるかどうか、それが大きいかなと思います。
──すごくよくわかります。
塩田 書いているほうも人間なので、真っ白でも真っ黒でもないと思うんですよ。「いけるネタ」だというのもわかるし、それを記事にすることによって、今書こうとしている子が思いとどまったりするかもしれない。でも、その結果クビになっちゃうのは行きすぎじゃない? という記事を書くことも、またできるわけですよね。一瞬で拡散してしまって記録されるという現代では、やってほしいところです。
──媒体だからこそできること。
塩田 キツイなーと思うんですよね。「第5権力的」と書きましたが、やっぱり市民が初めて権力を行使できる側になったということと、それに対して無自覚であるという恐ろしさ。それを小説に書いているんですけど、その無自覚がどれだけ人を追い詰めているか、そういう(直接取材の)記事を読むことで、息苦しさは紛れるかなと思いますね。
■噛み合わない「♯MeToo」議論
──印象的だったのが、新聞記者の間でもベテランと若い女性記者の間で「#Metoo」について議論するシーンです。2人の会話が、まったくかみ合わない。ベテラン記者は「#MeToo運動」に“私刑的”な側面を感じているわけですが、まるで理解されません。
塩田 僕は#MeToo運動っていうのは、それによって意識が改まって、という効果はあったと思っています。ただ、あれって最初はいわゆるアメリカのセレブから出発して、有名人だからみんな食いついてっていうのがあると思うんですけど、一般の人がマネしちゃって、全然広がらなくて、そのツイートが宙ぶらりんになったりしたら、お互いキツイと思うんですよ。そういう状態になる可能性は十分にあるし、この中にも書きましたが、主観でしかないものを一方的にやると、かなり危ないと思っている。報道被害、情報被害っていうのは、パワハラでも金銭トラブルでも、なんでも置き換えられるんですけど、こういう手法自体がホントにいいことなのかっていう。たぶんリツイートする人の多くは、真実であるかどうかは考えてなくて、どれだけインパクトがあるかっていうことだと思うんですよね。それを受け手側の準備ができていない段階で実名で発信していく怖さが僕にはある。さらに、それを言葉にしてしまうと、セクハラに対して無自覚だと、今度はこっちに刃が向いてしまう。
──メディアが被害者の告発を掲載するケースもあります。もちろん100%の正義として載せていると思うんですが、メディアを作る人にとっての正義をどう考えていますか?
塩田 まず基本はジャーナリズムの原則があって、第1の責務は真実を追い求めること、それは市民、我々のためにあるということです。そこを土台にして考えられているか、邪念が入っていないかを突き詰めるのは大事だと思います。メディアのセクハラ撲滅運動で得られた効果はもちろんある。でも、僕はこの実名による被害告発という手段自体が怖いんです。危ないと思ってしまう。嫌なものが残らないかという怖さを感じます。
──告発した女性の側にも残っちゃう。
塩田 かもしれないですよね。自分の被害を語るのは嫌なことだと思うんですが、その嫌だという感覚が麻痺している状態になっていないか、そこは慎重に、ホントに慎重に考えてほしい。自分たちの若いときになかったからこそ、ゾッとしてしまうんです。
──一方で、メディアを使えば簡単に人を追い詰められるということも一般の方がわかってきているように感じます。我々のようなメディアが単なる暴力装置になりかねないというところは、常に自覚しておかなければならない。
塩田 そうですね。メディアの仲介する役割、媒体であるという存在感が薄れていて、情報発信者と受け手が直接つながるようになったことは、すごく大きいと思います。だからこそ、真ん中にいる人たち、今まで真ん中にいた人たちは、自分にどんな存在価値があるのかというのを、もう一度考えるべきだと思うんです。例えば僕のいた新聞なら、速報に常に気を取られて、そこに編集予算も割かれていた。だけど、その逮捕を12時間早く書くことが、本当に社会的に必要なことなのだろうかと考えたら、今はもう12時間ではなく、予定稿さえあれば30秒で追いつける世界なので、やっぱり早さより深さ、取材していくことで出る深みを、僕たちは読みたいんだと思うんです。
(後編に続く/取材・文=編集部/撮影=尾藤能暢)
●しおた・たけし
1979年兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒。新聞社勤務中の2010年『盤上のアルファ』で第5回小説現代長編新人賞を受賞し、デビュー。2016年『罪の声』にて、第7回山田風太郎賞受賞、「週刊文春」ミステリーベスト10 2016国内部門で第1位となる。他の著書に、『女神のタクト』『ともにがんばりましょう』『崩壊』『盤上に散る』『雪の香り』『氷の仮面』『拳に聞け!』『騙し絵の牙』がある。
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