きっかけは細川ふみえの登場か 「Dカップ」が巨乳扱いされなくなったのはいつ?
#グラドル #細川ふみえ #イエローキャブ
■サンズ・野田社長が、あのグラドルの名を挙げた!
別の視点から深掘りするべく、番組は下着メーカーのトリンプ を訪問。同社広報担当者 いわく、80年より前の日本ではA、B、C、Dの4つのカップしか存在しなかったらしい。Dが上限であり至高。Eカップの販売がスタートしたのは、80年代中頃以降である。
下着メーカーのこの方針は、世の風潮に呼応していた。というのも、「Dカップ」という言葉を世にはやらせた張本人が存在するのだ。当時、「Dカップ京子」なるペンネームでエッセイを執筆していた中村京子氏である。番組は、中村氏に会いに行く。本人を目の前にすると、名前の通りに彼女も巨乳だった。というか、明らかにDカップどころではなさそうだが……。
「当時は4つ(のカップ)しかなかったので。たぶん、その時もDよりは大きかったと思うんですけど、それ以上がなかった」
時代は変わり、測定方法も変化。今の彼女は、正しくGカップのブラジャーを着けているという。
「当時は、“(服が)Sのサイズの人はAカップかな”“Mサイズの人はBカップかな”みたいな感じで。(アンダーバストの測定なんて)やらない、やらない!」
ということは、当時「痩せているのに巨乳」という概念はなかったのかもしれない。そういう人自体は存在していたが、世の認識のほうが追いついていなかった。
さて、ここからが本番。この生き証人に単刀直入に質問しよう。Dカップはいつから「巨乳」ではなくなったのか?
「やっぱり、イエローキャブの人の影響が大きいと思いますよ。細川ふみえさんの影響も大きいんじゃないですか」
細川は、Dカップを2つ飛び越えた「Fカップ」を引っさげ、90年にデビューしたグラドルである。
番組は元「イエローキャブ」、現在は「サンズエンタテインメント」の社長を務める野田義治氏に話を聞きに行った。
「ふみえがやっぱりひとつのターニングポイントになったのは確かだと思う」
「当時は“Dカップの~”というキャッチフレーズで良かったんですよ。これで十分大きい。でも、こちらにふみえみたいなもっとデカいのがいたから、Dに“巨乳”の印象がなくなったんでしょ」
細川が90年にデビューし、次々にグラビア誌へ登場。それで、「巨乳」のイメージがDカップからFカップへと移行した。
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