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日刊サイゾー トップ > エンタメ > ドラマ  > 『ブラペ』ラスト3話だけでよし!?

嵐・二宮和也『ブラックペアン』ラスト3話だけ見とけば大丈夫だったんじゃないか疑惑が……

■竹内涼真、渾身の泣きとオリジナル要素の回収

 今、もっとも性格がよさそうに泣く俳優(当社調べ)の竹内涼真。このドラマで演じた研修医・世良は前半に無駄泣きが多く「もっと! もっと竹内渾身の泣きを!」と思っていましたが、ようやく出ました。どちらかといえば悪い方の役回りだった「日本外科ジャーナル」の池永編集長(加藤浩次)を相手に見せてくれました。

「僕なんて、なんの役にも立たない!」

「でも、目の前にある命をあきらめられない!」

「僕も医者でありたいんです!」

 その純真な土下座で、見事池永編集長の心を動かし、佐伯教授の命をつないで見せました。

 ところでこの池永編集長と専門誌「日本外科ジャーナル」の周辺は、ドラマの完全なオリジナル要素となっています。この雑誌に論文を載せて「インパクトファクター」なるインパクトのファクター数値を積み重ねることで、外科医は学会の理事長になれるのだそうです。

 このドラマでは、いかに池永編集長を懐柔し、自分の論文を雑誌に載せることで理事長選を有利に戦うか、というのが、物語の縦糸として設置されていました。それを争うことで佐伯教授と西崎教授、ひいては東城大と帝華大の対立構造を浮き彫りにしてきたわけです。

 この原作への追加要素には、対立がはっきりして見やすくなるメリットがあった反面、特に佐伯教授が「論文も大切、患者も、まあ大切」というどっちつかずな性格になってしまうデメリットがありました。しかし、今回の世良と池永の対話によって論文の存在が佐伯教授の命を救うファクターになったことで、これまでの対立軸が実に美しく消化されました。原作をはみ出して広げた風呂敷は、ちゃんと自分たちで畳むという、ドラマ側の物語に対するマナー意識みたいなものが感じられて気持ちよかったです。

■いわずもがな、ニノはキュートなんだけど

 今回は孝太郎と竹内涼真に大きな見せ場が振られていたので言いそびれていましたが、ニノはあいかわらずキュートでした。懸命に悪態をつきつつ、オペ室への入室を禁じられるとおとなしく「遠隔操作」という代替策を考え、必死に勉強して患者を救う様子など、健気すぎて涙が出ます。

 次回、いよいよ最終回ですが、気になるのが、このニノ演じる渡海征司郎の完璧超人かつ善良人間っぷりです。手術手技はもちろん、状況判断や人心掌握についても完全にノーミスを貫いていますし、何もかもが渡海の思うままに進んでいます。

 これ、全部ネタ振りというか、渡海をドン底に落とすためにあえてスーパーマンとして描いてきたのだとしたら、そして原作にあったようなニュアンスで、物語そのものが渡海をその物語世界の外側へ突き放すのだとしたら、なかなかダイナミックな作劇だなぁと思うし、そういう方向に期待しているというのが今の正直な感触です。

 ダークヒーローの美学みたいなものを、ドラマがどう解釈するのか。この渡海も、半分はテレビ局が勝手に作ったイメージですから、マナーを持って落とし込んでほしいと思います。なんか原作のネタバレするのもアレなので曖昧なことしか書けなくなってしまいましたが、要するに今回は面白かったし、全体的に見てもまあ面白かったし、序盤から中盤にかけて整合性を無視しながら強引にリピートし続けたシナリオも、最終回へのネタ振りとして強烈に作用するならオールオッケーになっちゃうけど、どうなるんだろ! ってことです。逆に言えば、これお話を理解するだけならラスト3話だけ見とけば大丈夫だったんじゃない? という気もしますが、それを言ってしまっては身もふたもないわな。
(文=どらまっ子AKIちゃん)

最終更新:2018/06/20 14:26
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