志村けんブレークの陰に……ボーヤ時代に起こした失踪事件と、「まったくウケない」下積み時代
#お笑い #志村けん
「3月6日、新潟市民会館で行われた『少年少女合唱隊』コーナー。この時のテーマは『民謡』。新潟ゆかりの曲やゲストの出身地の民謡が歌われる中で、ラストに歌ったのが志村けんの『東村山音頭』だった。この曲は、たまたま志村が鼻歌で歌っていたのをいかりやが聴いて、とりあえず出してみたという偶然的なものだったが、これが大ウケ。9月にはシングルで発売され好セールスを挙げる。東村山市長から『市の知名度を上げた』ということで感謝状も贈られている。このブレークにより、ドリフターズの一員として、コメディアン・志村けんが世間に認知され、第2期ドリフの快進撃の幕開けとなる」
その後も志村の勢いはとどまるところを知らず、「ヒゲダンス」など、音楽ネタにブラック系ソウル・フリークだった志村の趣味が反映されるようになる。ついには『ザ・ベストテン』(TBS系)に出演し、音楽をバックにいつもの芸を披露した志村。
ちなみに、80年に発売された「ヒゲのテーマ」は作曲者として志村の名がクレジットされているが、後に、ディスコシーンでヒットしていたテディー・ペンダグラスの「DoMe」を引用していたことが発覚。志村は「知らず知らずのうちに似てしまった」と説明しているが、「DoMe」の権利を持っていたレコード会社は問題にするどころか、この曲を「ヒゲのテーマ」の原曲として日本盤化。だが、残念ながらこちらはヒットしなかった。
書籍『虹色の音詞』(シンコーミュージック)でインタビューを受けた志村は、「ミュージシャンになりたいという願望はなかったんですか?」という質問に対し、以下のように答えている。
「それはあまりなかったですね。でも、音楽はやってたんですけどね。高校の頃、コント55号へ行こうか、ドリフターズへ行こうか迷ったんです。で。コント55号は動きは好きなんだけど、音がない……それが決め手になって、ドリフターズに付いたんですよ」
今回の『ファミリーヒストリー』エンディングで、志村はしみじみと「1人じゃ何もできないってすごくわかりますね」とコメントしている。
家族、そして加藤といかりやらの理解の下に、確固たる地位を築き上げていった志村。そうした環境もありつつ、彼の内にあった音楽の素養がブレークのきっかけになった辺りが面白い。
(文=寺西ジャジューカ)
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