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日刊サイゾー トップ > エンタメ > ドラマ  > 『ブラックペアン』が犯した失敗

嵐・二宮和也『ブラックペアン』が犯した失敗……『水戸黄門』パターンからの脱却なるか

 さらに今回、近所で落盤事故が起きて27人が緊急搬送されてくるという事態も発生しました。この27人も、渡海は全員助けちゃった。27人もいれば病院に着いた時点で死んでる人もいそうですが、全員助けちゃった。

 そうして母ちゃんと27人の負傷者を平常運転で救ってしまったことによって、渡海という医者は「治せる患者は全員治せる」天才外科医から「誰でも、どんなケガでも病気でも、どんなタイミングでも、絶対に治せる」魔法使いになってしまっている。しかも、渡海と母親の間に“何もない”ので2人の関係性を描くこともできず、渡海が「母ちゃんが死にそうでも平気」な、たいへん珍しい人物に見えてしまっている。

 普通の医療ドラマなら、より医者の心情を深堀りできるはずの「肉親が患者」という設定が、渡海の人格破綻をさらに加速させるという、これは明らかに失敗していると感じました。

■『水戸黄門』からの脱却

 なぜそんな失敗が起こったかというと、「患者が母親」の投入は、決してパターン内でのマンネリ打破のためではなかったからです。うっすらとパターンの外で語られてきた「ブラックペアンって何?」「渡海と佐伯教授の因縁っぽいのは何?」という本筋に展開を与えるために、佐伯教授の過去を知る人物として母親が必要だった。

 だったら普通に出して、普通にエピソードを絡めて説明すればいいのに、「せっかく母親出すんだから、病気にしちゃえ! 瀕死にしちゃえ! 感動するだろ!」というドラマの強欲が出た結果でしょう。で、「天才外科医が母親を救う」というシチュエーションは、細部がどうあれ感動的に見えてしまう。

 とにかく強欲なんです、『ブラックペアン』というドラマは。何もかも詰め込んで押し通そうという姿勢がすごい。とにかく渡海は比類なき天才であるべきだし、最新医療機器はどんどん出すべきだし、そういう最新ロボは失敗するべきだし、竹内涼真は泣いているべきだし、権力闘争中の大人たちは徹底的に卑怯であるべきだし……そういう出力最優先主義というか、物量主義というか、強引で豊饒な作劇の悪いところが全部出たのが今回だったように思うんです。

 これが、やっぱりそこそこ面白いというのが、始末の悪いところなんですよねえ。
(文=どらまっ子AKIちゃん)

最終更新:2018/05/28 20:00
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