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日刊サイゾー トップ > 社会  > 栗城史多氏“冒険家のジレンマ”とは

栗城史多氏 植村直己さんもハマった“冒険家のジレンマ”とは

栗城史多オフィシャルサイトより

 8度目の挑戦でエベレスト登頂を目指していた登山家の栗城史多氏が、登山中に死亡したことが明らかになった。登山の様子をインターネットで生中継するスタイルで有名になり、今回の挑戦もAbemaTVで生中継されることが決まっていた栗城氏。彼の挑戦は多くの人に感動を与えてきたが、死の一因として考えられるのが、冒険家たちが必ず陥るジレンマだ。

 1982年生まれの栗城氏は、大学入学後に登山を始め、6大陸(北米、南米、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア、南極)の最高峰登頂に成功。チョ・オユー、マナスル、ダウラギリ、ブロード・ピークなど、8,000メートル峰4座にも登頂を成功している(いずれも公式サイトのプロフィールより)。また、2009年からは「冒険の共有」を謳い文句に、ネット上で登山の様子を生中継するスタイルを生み出し、『NHK特集』、『金曜日のスマたちへ』(TBS系)、『カンブリア宮殿』(テレビ東京系)などでその活動が紹介されてきた。

 山歴を見れば一般人は唸るしかないが、登山界からはその経歴に疑問の声があったのは事実だ。学生時代に山岳部に所属し、登山経験も豊富なスポーツライターが語る。

「彼の山歴に関してもっとも問題視されているのは、8,000メートル峰登頂の山歴に記されている『単独・無酸素』という点です。登山界では、20世紀後半に8,000メートル峰14座が登り尽くされると、今度は何らかの付加価値をつけることに争いが移りました。8,000メートル峰にいくつ登ったか、『東壁』『北壁』などの“バリエーションルート”、気象条件の厳しい“冬季”、グループでなく一人で登る“単独”、そして酸素ボンベを持たずに登る“無酸素”などがそれです。しかしこれらは正直なところ、明確な定義がありません。バリエーションルートとはいっても、極端な話、『10メートル横のルートを通ったら“新ルート”なのか』という議論もあるほどです。単独・無酸素に関しては、『ベースキャンプより上で誰の助けも借りない、酸素ボンベを使わない』というのが一般的な考えですが、彼に関してはその点がいささか不明瞭だったため、国内のトップクライマーから疑問の声が上がったこともあります」(スポーツライター)

 しかし、9本の指を失いながらも挑戦を続けた栗城氏。その背景には、“冒険家”という特殊な職業の人間が陥るジレンマがあったようだ。

「ヒマラヤの8,000メートル峰に登るには、入山料をはじめとして莫大な費用がかかります。栗城氏のように登山や冒険を職業にする人間の場合、遠征のたびにスポンサー探しに奔走することになりますが、スポンサーが求めるのは話題になる場所。つまり“危険な場所”ということになります。かの植村直己氏も冒険を仕事にした人物ですが、彼の多くの冒険が“史上初”の場所だったのは、スポンサーの意向を汲んだ側面は否定できません。自腹で挑戦するなら、自分の判断で撤退することができますが、スポンサーがついていると、どうしてもその判断は鈍ってしまいます。しかも一度成功してしまえば、世間が次に求めるのはより困難な場所です。つまり冒険家という職業をやめない限り、永遠に前回より危険な場所に向かわないといけないのです。今回栗城氏が目指した南西壁は、エベレストの中でも特A級の難ルートで、これまで世界トップクラスの登山家が数人しか登頂に成功していないルートでした」(同)

 尊い挑戦も、本人が亡くなってしまえば、残るのは悲しみと後味の悪さだけ。どこかでストップをかけることはできなかったのだろうか……。そう思っている人は少なくないはずだ。

最終更新:2018/05/24 17:00
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