『かぐや姫の物語』にTBS宇垣美里アナウンサーが「現代を生きる女の人の話だった」 背景に女性アナウンサーへの性差別的扱い
18日、『かぐや姫の物語』が『金曜ロードSHOW!』(日本テレビ)枠にてノーカット放送される。『かぐや姫の物語』は、平安時代より受け継がれてきた『竹取物語』を再解釈した作品。4月5日に亡くなった高畑勲監督(享年82)の遺作となってしまった映画でもあるが、この『かぐや姫の物語』に関してTBSの宇垣美里アナウンサー(27)が語った感想が話題となっていた。
宇垣美里アナウンサーが火曜日のパートナーを務めているTBSラジオの帯番組『アフター6ジャンクション』。この番組の4月17日放送回では高畑勲監督の追悼特集が組まれていたのだが、そのなかで宇垣美里アナは自身の心に残る高畑監督作品として『かぐや姫の物語』を挙げる。その理由を彼女はこのようにコメントしていた。
<日本最古の物語といわれている『竹取物語』が、こんなに現代を生きる女の人の話だったとはってことが非常に刺さって。なんでこのことを、おじさんの高畑監督が知ってるんだろうってことが、私もホントに不思議で。たとえば『コレしちゃダメ、アレしちゃダメ』って教育係の人に言われるなかで『高貴な姫は人ではないので』っていう言葉に『あぁ、女って人ではないんだ』って思う瞬間がたくさんあったりとか。女性はこういうふうにしなさい、こんな言葉使いはダメ、足を広げてはダメ……。『好きにさせてくれ!』みたいな。人目を気にしなきゃいけないっていう部分が『そうだなぁ……』って思ったりとか>
「女ならこうあらねばならない」。社会からそのように命じられることへの怒り。作中でかぐや姫が抱いたその思いは、宇垣アナ自身が日常生活で抱いているものでもある。彼女は続けてこのように語った。
<見たこともない人たちに、『きっとブスだろう』『化物みたいかもしれない』『いや、すごく美人らしいぞ』(と言われて)。なんで見たこともない人にそんなことを言われなきゃいけないんだろうって。もうホントに見覚えがありすぎて、私、そこで涙が止まらなくて。そこで、かぐや姫が疾走するんですよね。あのシーンの、あの絵のエネルギーに圧倒されるし、その気持ちがものすごくわかるし>
このコメントはSNSで大きな話題を呼んだが、宇垣アナといえばその他にも、「クイック・ジャパン」(太田出版)vol.137に掲載された連載コラムで『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に対しても興味深い論評を綴っている。
このコラムでは宇垣アナがTBSに入社後、東京に出てきてから抱いた悩みや葛藤が吐露されているのだが、<働き出してから、映画館にたくさん行くようになりました>との書き出しで映画について書かれており、その流れで『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を取り上げている。
<何度も繰り返し観に行ったのが『マッドマックス 怒りのデス・ロード』です。びっくりするでしょうけど、これが本当に刺さるんだ。ちょうどいろいろなことを悩みはじめたとき、たとえば書き殴られた“私たちはモノではない(We Are Not Things)”の言葉や、ニュークスの最期の“俺を見ろ(witness me)”、そしてマックスが初めて自ら血を与えるシーン。泣いて泣いてデトックスすると同時に観終わったあといつも「自分らしく生きていけない場所で生きていくことにはたして意味はあるのかしら?」と考えていました>
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』はアクション映画の金字塔であり、多くの映画ファンが「2015年のベスト」に挙げた名作中の名作。本人も<びっくりするでしょうけど>と書いている通り、彼女のルックスや過去のスキャンダルからイメージされる人物像とは離れたところにある作品で、意外なセレクトだ。しかし、彼女には「We Are Not Things」のシーンが刺さったという。どのようなシーンか、あらためて説明したい。
この映画は、荒廃した未来のディストピアが舞台。その世界で独裁者として振る舞うイモータン・ジョーには「ワイブス(Wives)」と呼ばれる5人の妻がおり、彼女らを子どもを生むためだけに生きる出産母体として扱っていた。その扱いに耐えかねた彼女らは、生まれる子どもをイモータン・ジョーに渡すのを拒否するため、女性軍人・フュリオサらの力を借りて脱走。それをイモータン・ジョーの軍隊が追跡する物語となっている。「We Are Not Things」は、脱走した彼女らが部屋の壁に書き置きした言葉である。
このあらすじを見ればわかるように、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』は、2時間にわたり延々とカーチェイスやバトルシーンの展開されるルックとは裏腹に「フェミニズム映画」としても評価されている。実際、ジョージ・ミラー監督(73)はインタビューで<アフリカにおける女性の人身売買や搾取に詳しいイヴ・エンスラーを招いて、〈ワイヴズ〉を演じた女優たちに「彼女たちがいったいどういう(精神的・肉体的な)状況にいるのか」ということがしっかりと理解できるよう手助けをしてもらった>(TBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』番組ホームページ内「放送後記」より)と語っており、映画づくりの過程において、俳優たちに女性問題についてしっかりとした学ぶ機会をつくったと明かしている。
『かぐや姫の物語』でも、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』でも、宇垣アナの心に響いた部分は共通している。それは、男性優位社会のなかで女性が理不尽な制約を受け、都合の良いように扱われている現実へのアンチテーゼという点だ。『かぐや姫の物語』のかぐや姫も、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の「Wives」も、その現実に苦悩し、絶望し、抗っている。その姿に宇垣アナは強い共感を寄せるのだろう。「クイック・ジャパン」のコラムのなかにある<「自分らしく生きていけない場所で生きていくことにはたして意味はあるのかしら?」と考えていました>という文章は、まさにその心情を象徴するような一文だ。
宇垣アナがこれらの作品に胸を撃たれたのは、「女性アナウンサー」という職業と無関係ではないはずである。彼女の就いている職業は、「アナウンサーらしく」というお題目のもと私生活まで厳しく制限されるうえ、オヤジ週刊誌で毎週のように組まれる特集を見ればわかる通り、一方的に性的な目に晒される立場でもある。
その一方、テレビ局内において女性アナウンサーの立場は、ときに「置物」のように扱われ、虐げられたものにもなる。
元TBSアナウンサーの小島慶子は、「週刊プレイボーイ」(集英社)2018年5月28日号のなかで、福田淳一・前財務事務次官によるテレビ朝日の女性記者へのセクハラ問題において、『報道ステーション』(テレビ朝日)内でテレビ朝日の対応に意見を述べた小川彩佳アナを称賛しながら、その行動が女性アナウンサーにとってどれほど難しいものかということを述べていた。
<番組の意思決定権を持つのはたいてい年次が上の男性たちです。女子アナはニコニコしていればいいんだとかいう人もいる中で、一人称で自分の思いを伝えるのはとても勇気のいることなのです。たとえ会社員ではないフリーの立場であっても、女性キャスターの座に就くと、局は番組の意図を逸脱しないようしゃべることを求めるのが常。言われたとおりにやれという圧力を感じることもあるはずです>
元フジテレビアナウンサーの長野智子も、女性アナウンサーの局内における待遇のひどさを告発している。自身が編集主幹を務めるウェブサイト「ハフポスト」日本版に寄稿したコラムのなかで、かつてのテレビ局では「顔色悪いね。彼氏とお泊り?」「腰掛けだと言って、3,4年で辞める女くらいがかわいいよね」「30歳ってもう終了じゃん」などといった言葉が公然と投げかけられる環境であったと語っていた。
しかし、これだけ屈辱的な言葉を投げかけられながらも、彼女たちは耐えなければならなかった。それゆえに、彼女たちは死に物狂いで働くことで見返そうとした。「ハフポスト」では、<「なにくそ」と乗り越えて闘い続けることがデフォルトだった。「あのおじさん、ほんとしょうがないよね」と女同士で愚痴を言いながら><新人の女性記者がトイレのない現場の徹夜取材で「女はめんどう」だと言われたくないから我慢をし、膀胱炎を患うことも珍しくなかった。そして、そういう女性こそが「仕事ができる」と評価され、ついていけないと感じる優秀な女性の何人かは辞めていった>と綴られており、当時のテレビ局が女性にとっていかに劣悪な労働環境であったかがわかる。
長野智子がフジテレビに入社したのは1985年だが、しかし、このような状況は21世紀に入ってからも、なんら変わっていないのではないか。2007年に日本テレビに入社し、現在はフリーアナウンサーとなっている夏目三久(33)は、4月25日放送『あさチャン!』(TBS)で、<かつて、取材相手からセクハラとも取れる言葉を受けたことはたびたびありました。その人については、取材する側も皆がもうそういう人なんだなぁと諦めて、私自身も声を上げるということが、イコール、“仕事が出来ない”“心が弱いヤツ”だと思われるのが怖くて、その時は皆が黙認しているという空気ができあがっていたんですね>と、セクハラ被害に遭っていたうえ、社内の「空気」からその被害を我慢していたことがあると告白している。
宇垣アナによる『かぐや姫の物語』や『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の感想が切実なものなのは、彼女が現在置かれている環境が、映画作品に描かれた世界とそう遠いものではないからだろう。
(倉野尾 実)
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