「アンクル・トムの小屋」は差別を助長するの!? 米国の暗黒史『私はあなたのニグロではない』
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子どもの頃に世界名作全集「アンクル・トムの小屋」を読んだ人は多いだろう。黒人奴隷トムの苛酷な運命を描いたものだが、親切だったかつての白人オーナーの息子と死に際に再会するラストシーンは涙を誘った。米国南部における人身売買の実態が広く知られるようになり、南北戦争のきっかけになったとも言われている。ところが現代の米国では、アンクル・トムは不人気らしい。トムにとっての幸せは優しい白人オーナーのもとで暮らすこと、という設定が黒人にとっては面白くないのだ。ドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない』(原題『I AM NOT YOUR NEGRO』)は、人種問題に繋がる有名作品の数々を取り上げた興味深い構成となっている。
本作のナレーションを務めるのはサミュエル・L・ジャクソン。彼が出演したクェンティン・タランティーノ監督作『ジャンゴ 繋がれざる者』(12)で描かれた黒人虐待シーンは強烈なインパクトがあった。『アベンジャーズ』シリーズをはじめ数多くの娯楽大作に出演しているサミュエルだが、もともとはスパイク・リー監督の『ドゥ・ザ・ライト・シング』(89)など人種差別を題材にした社会派作品で注目を集めた俳優だ。ハイチ出身のラウル・ペック監督は、“アメリカ黒人文学のレジェンド”ジェームズ・ボールドウィンが遺した未発表原稿をサミュエルに朗読させる形で、キング牧師やマルコムXらが最前線に立った1960年代の公民権運動の歴史を検証していく。
ストウ夫人ことハリエット・ビーチャー・ストウが「アンクル・トムの小屋」を発表した1852年から9年後に南北戦争が始まり、1863年の奴隷解放宣言へと繋がった。米国史上最大の内戦となった南北戦争は奴隷解放を旗印にした北軍の勝利に終わったが、北軍が引き揚げた後の米国南部では黒人たちに対して大きな締め付けが待っていた。「ジム・クロウ法」という州法が米国南部では施行され、白人が利用するレストランやトイレなどに黒人は入ることは許されず、白人との結婚も禁止といった人種差別政策は、1960年代に公民権運動が盛り上がるまで実に100年近く続くことになった。人権保障を記した合衆国憲法も歴史的な奴隷解放宣言も、実際に効力を発揮するまでにあまりにも多くの血が流れている。
米国の映画史も偏見と事実の歪曲から始まった。有名すぎるために本作からは省かれているが、“映画の父”と呼ばれるD・W・グリフィスの代表作『国民の創生』(1915)では、南北戦争後に無法地帯化した南部で暴れる黒人たちを制裁する正義の覆面戦隊としてKKK(クー・クラックス・クラン)が描かれている。米国映画の中で正義のヒーローは常に白人だった。ハリウッド黄金期、白人の映画スターたちはスクリーン上で華やかに歌い、踊った。たまに出てくる黒人は、もっぱら頭の弱い道化師役だった。幼い頃のボードウィンは父親に顔がよく似た黒人俳優が登場する映画を観るが、その俳優が演じたのは白人女性をレイプした上に殺害した疑いで逮捕される哀れな学校の用務員というキャラクターだった。
1950年代になると、黒人の映画スターとしてシドニー・ポワチエが現われる。ポワチエとユダヤ系移民のトニー・カーティスがダブル主演した『手錠のままの脱獄』(58)は古典的バディームービーの名作として知られているが、黒人側にしてみれば、納得しかねるストーリーだった。クライマックス、列車に乗って逃亡しようとする脱走囚の2人。黒人のポワチエはうまく列車に飛び乗るが、怪我を負った白人のカーティスは乗りそびれてしまう。この場面でポワチエは単独での逃亡を諦め、カーティスと一緒に列車から降りてしまう。このエンディングに白人の観客は感動し、黒人の観客はブーイングした。名優として今なおリスペクトされているポワチエだが、白人にとって都合のいい優等生を演じたにすぎないとボールドウィンは手厳しい。アンクル・トムと同じだというわけだ。
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