「港区女子」を目指した原点は高校時代の出会い!? 現役港区女子・ひとみんの波乱万丈な生い立ちに迫る!【後編】
港区女子の生態について明かしてくれたひとみん(@htm_192)。多種多様な人物たちと出会ってきたことで、目が肥えている彼女だが、一体どういう人生を歩んできたのだろうか?
今回はひとみんの人並み外れた華麗なる生い立ちをクローズアップしてみたい。
(インタビュー前編はこちらから)
――話は変わるんですが、そんなに知的で美しい佇まいで、鋭いことを言うなんて、聞けば聞くほどひとみんさんのパーソナリティに興味が湧いてきました。生い立ちを聞いてもいいですか?
ひとみん 小学校から高校まで、先生以外とは誰とも、ひとこともしゃべらない人生。教室では本ばかり読んでいました。友達や彼氏もおらず、ずっと浮いていましたね。
――親御さんも社長だったんですか?
ひとみん 父親は開業医です。家族仲はよくて、家にいるのは楽しかったですね。中学は受験をして全寮制の私立校に入学しましたが、厳しすぎるのが嫌で2カ月で辞めました。で、公立に転入して。高校は2年のときに中退しました。進学校だったから大学受験対策はもうほぼ終わっていたし、友達もいないし、いいや、と。
――中退後から大学入学まではどうやってすごしていたんでしょうか?
ひとみん まずは予備校に、テストの点数が良かったのでほぼ無料で入り、浪人生と同じクラスに通っていました。そこで頭がいいのにヤンキーの3〜4浪していた子と仲良くなって、毎晩歓楽街で遊んでいました。楽しかったですね。
――それまで友達と遊ぶことはおろか、夜の街で遊ぶこともなかったのに、突然そんなことに。遊ぶ金はバイト代から捻出したり?
ひとみん いや。バイトはしたことがありません。パチスロばっか行ってた。
――パ、パチスロ?
ひとみん スロットのセンスがあったから、それで生活できていました。食事代は男が払うし、家には帰っていなかったけど誰かの家に泊まったり、勝った金でネットカフェやホテルに泊まることもありました。でも遊び呆けちゃって、その年の願書を取り寄せ忘れ、センター試験を受けられなかったんですよ。周りの友達もみんな落ちて、また浪人して。翌年は地元の大学の薬学部に入学しましたが、行きたくない大学だし早々に留年が決まったから辞めました。
――で、その翌年に、現在の大学に入学するわけですね?
ひとみん 一足先に東京の大学に行った子たちのTwitterを見ると、毎日「六本木なう」とか言って港区で楽しそうに遊んでいたんです。それで「港区がいいらしい」ということを知り、港区に近い大学の薬学部を受験し合格して、上京。で、私も友達がいる港区に行くようになりました。
――それがひとみんさんと港区の出会いだったんですね。当時は港区で何をしていたんですか?
ひとみん 友達が学生イベント団体をやっていて、私は集客をやることになりました。クラブを貸し切った千人規模のイベントが主で、Twitterで集めたり、路上でナンパしたり。当時でフォロワー数が7,000人くらいいたので、「Twitterのひとみんです」と話しかければだいたい大丈夫でした。そこでかわいい友達が増えていきましたね。
――その頃から有名だったんですね。いち大学生が、どうやってそんなにフォロワーを増やせるんでしょうか?
ひとみん 最初はフォローして、外して、を繰り返して、最終的に1,000人くらいのフォロワーになると、あとはその1,000人が勝手に動いてくれるんです。
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