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昼間たかしの100人にしかわからない本千冊 31冊目

取材の時にレコーダーなんか回すんじゃない!! ゲイ・タリーズ『有名と無名』

『有名と無名―ニューヨーク〈パート3〉』(青木書店)

 連載回数も区切りを迎えたので、次はどのような本を紹介すべきかと考えて、ふと浮かんだのが、この1冊。

 すでに絶版になっている、この『有名と無名』(青木書店)は、ゲイ・タリーズの短編集として3分冊で刊行されたうちの1冊である。

 ほかの2冊、『名もなき人々の街』と『ザ・ブリッジ』も、物書きを志すなら読んでおくべき本。だが『有名と無名』は別格である。

 というのも、この本にはタリーズの出世作である「シナトラ風邪をひく」と、その後日談「シナトラが風邪をひいたころ」が収録されているからである。

 1965年の冬のこと。「エクスワイア」から依頼を受けたタリーズは、フランク・シナトラにインタビューするため、ニューヨークからロサンゼルスへと飛び立った。

 ところが、直前になりシナトラのオフィスから取材のキャンセルを告げる電話がかかってきた。理由は、シナトラが風邪気味であるからということ。

 取材は空振りに終わった……と、帰るわけにはいかない。そこでタリーズは、ちょっとでもシナトラを知る人に会い、話を聞くことにした。シナトラが関係する映画会社に音楽会社のスタッフや重役連中。かつて交際のあった女性たち。出入りしている店の人々……。

 会うとはいうが、テープレコーダーとメモ帳を手に「シナトラさんについて、知っていることを教えてくださいよ」と押しかけるわけではない。昼飯や夕食に連れ出して、ただ話をするのである。そうして出会った100人あまりの人々の話を元に、シナトラにインタビューせずして人物を浮かび上がらせるという「シナトラ風邪をひく」は出来上がった。

 その後日談でタリーズは、こう語る。

 私はポケットに、ほとんどいつもペンとメモ帳を忍ばせていた。そしてテープレコーダーを使おうとは夢にも思わなかった。そんなものを使ったら、人々は率直にしゃべってくれなかっただろうし、あのリラックスした、あの裏表なしの関係も築けなかっただろう。

「シナトラが風邪をひいたころ」で、タリーズは繰り返し、テープレコーダーを使う取材を戒めている。これを使えば「自分の頭と手間と時間にこだわる書き手を使うよりもずっと安い料金で、それなりの記事を仕立てられるのだ」と。

 現在、我々が行っている取材して書く工程で、テープ起こしは、ほぼ必須の作業である。ともすれば、テープ起こしが終われば作業の半分以上が終わった気になりがちだ。

 あとは、重要そうなところを抜き出してカギカッコでくくれば、記事は出来上がる。

 けれども、それは人の心を震わせる「作品」になりえるだろうか。取材相手の、上手いことを言っている部分を抜き出せば、読者の興味を引くことはできる。それに、何か問題になった時もカギカッコでくくっておけば、録音と合わせて、確かに本人が話していることだと抗弁することも容易である。

 でも、そうして出来上がった記事は、読み飛ばされて消えていく。なぜなら、書き手の意識の一切ない、中身のない記事に過ぎないからである。

「シナトラ風邪をひく」においても、カギカッコで会話した文章は出てくる。でも、それはタリーズがインタビューをして得たものではない。さまざまな人に出会い、こっそりとメモを取り、あるいは記憶したものを記録して、執筆の際に再構築されたものである。

 それを実際に話していないことかもしれない。では、そうして出来上がったものは、創作であり捏造になるだろうか。

 決してそうはならない。なぜなら、そうして構築された一言一句が、膨大な取材に裏付けされているからである。

 実際、タリーズのような方法論を実践しようと思うと、膨大な時間と、途方もない経費がのしかかってくるのはいうまでもない。けれども、いかにして、そこに一歩でも近づくか。それを、書き手は今一度考える時が来ているのだと思っている。
(文=昼間たかし)

最終更新:2019/11/07 18:39
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