トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > カルチャー > 本・マンガ  > マンガ家・火鳥のささやかな恩返し

『快楽ヒストリエ』マンガ家・火鳥《楽しい日々》へのささやかな恩返し

 絵のスキルも、そこでワンステージ上がりました。自分が中学生くらいの頃から、家庭でのインターネットはもう一般的になってきてたんですけど、いわゆる美少女系のイラストを初めて見て。すごいな、うまいな、ちょっと真似して描かなきゃいけないぞと思って模写したりして。それまで、二頭身キャラばかりだった自分の絵が、より人間らしいものになったんです。

『東方Project』にハマったのも、その頃。友達と行った札幌のメロンブックスでデモ映像が流れていて、友達が「面白いよ」と。初めて弾幕系シューティングってものを知ったので、すげーなあ、きれいだけど、こんなのクリアできるのかよって眺めてました。

 まあ、買ってしまったんですよね。買ったのは『東方永夜抄』。当時は「永新参」なんて揶揄されてたらしいですけど、そんなこと知りませんから、ただただプレイしていた。家にネットはあったけれども、不思議と当時、東方のことは調べた覚えがないですね。ただ普通に遊んでたんです。

 キャラ関係だってそうですよ。『東方紅魔郷』とかをプレイしていないから、ぜんぜんわからなくて。あ、咲夜とレミリアだけはわかりやすかった。メイド姿で、お嬢様って呼んでたので。

 ニコニコ動画が流行ってから、ようやくですよね。東方が同人で盛り上がっているのを知ったのは。

 じゃあ、ぼくも描こうかなと思って、描き始めました。ノートに鉛筆で……。

 そのまま、マンガも描かず、同人誌もつくらないまま卒業して大学へ。ここでもオタクレベルがひとつ上がりました。いい場所にあるんですよ。校舎の2駅となり、地下鉄大通駅で降りて35番出口(注:現在閉鎖中)から出る。するとすぐ前が、メロンブックスと、とらのあな。それに、アニメイトと、らしんばんと、ゲーマーズがあるんです。当時はゲーマーズは別の場所でしたけど。「35番出口」といえば札幌のオタクには通じます。大学で得たものはあったとも思うんですが、真面目に勉強するよりは、そこに通い詰めていました。

 飲食系のバイトも始めたんですが、バイト代はみんなコミックスと同人誌に消えました。それでも自分では同人誌の1冊も出していなかったんです。考えるばかりでした。『らき☆すた』とか『ぱにぽに』の同人誌とか、どうかな……と。考えるだけで、そこから踏み出せなかったんです。そしてついに、大学4年生になりました。

 * * *

 大学4年生になった2008年のことだった。高校の放送部のメンバーが、再び同じ目的の下に集った。目指すは10月の同人誌即売会、サンシャインクリエイション41。買う側ではない、描く側になるのだ。こうして、初めての同人誌『東方裏日誌』を携えて、火鳥と仲間たちは東京へと向かった。

始めまして。
杞憂煉獄と申します。
週刊日進月歩にようこそ。

このサイトは、高校時代の馬鹿四人が、数年の時を経て何故か再結集して結成されたサークル「vok41」の拠点サイトです。

「サークル作るんだから、ホームページくらい無いとね」

……とかいう軽はずみな発言により、ホームページを作成する事になったのは良いのですが。今現在僕以外のメンバ三人は同人誌の締め切りに向けての修羅場真っ最中でして、ホームページ作成の件は殆ど僕に丸投げ状態です。
(2008年9月29日の投稿)

火鳥 感謝しています。放送部の仲間たちは、ぼくがなかなか動かず、思い切ったことをしないから、放り込んでやらなきゃという気持ちだったんでしょうね。同人をやろう。〆切はここだ。申し込んだから描こう……と。

 そうして、描いたのが東方の4コマ。最初は、少ない部数しか持っていかなかったんです。でも、ジャンルが爆発していた時期だったからというのもあるんでしょう。完売したんですよね。

 それが自信になりました。もちろん、北海道から出てきているわけだから利益なんかないですよ。それでも、みんなで喜んで打ち上げをして、ほくほくしながら、次は何を描こうかと話しつつ帰ったんです。それからはもう、同人誌を描くのが楽しくって……。東方だけでなくボーカロイドも好きで描きましたが、特に東方はずっと続いています。長くジャンルにいる人はみんな言うけど、10年も描くとは思わなかったですよね。

 サンクリが終わってからは、pixivでも作品を投稿するようになりました。pixivは描き手のモチベーションを上げる設計が本当によくできていて、閲覧数やコメントが増えるようにがんばりました。それから、コミケに初参加するまでの間にも2冊、同人誌を出して……。

 そう、実は最初はサンクリではなく、コミケで初同人誌を出すつもりだったんですよ。それも、ボカロマンガのネタにしたんですけど、申し込み時期が半年前っていうのを誰も知らなかったんです。最初は「夏コミはつらいって聞いているけど、俺たち北海道民は冬コミなら大丈夫だ」なんて話して、いざ申し込もうとしたら、とっくに〆切は過ぎてる。だから、10月のサンクリに参加することになりました。それも幸いしたのかな。サンクリがきっかけでpixivでも活動を始めて、そこから次のコミケまでの間に、自分を知ってくれる人が増えたから。

 * * *

 初めてのコミケは、二泊三日の旅だった。朝、仲間と共に新千歳空港から飛行機に乗った。サークルの仲間との合同誌とは別に『魔理沙がぢになる話』を持ち込んだ。幾人もに素通りされる寂しさの後にやってくる「1冊ください」という、たった一度の言葉のうれしさを感じたかった。

「あちこち力注ぎすぎでしょうw爆笑させていただきましたw」
「完売の時に並んでましたが完売すんのはえぇとか思いながら拍手しましたよwww」
(2009年9月30日pixivに投稿した「【C76レポート】東京火鳥旅2【その3】」に寄せられたコメント)

火鳥 就職活動はしていないし、する気もなかったんです。卒業はできるかと思っていたら単位が足りなくてフェードアウト……中退してました。普通だったら将来について焦るところですけど、もう同人活動を始めてから楽しくて楽しくて、楽しさ以外吹っ飛んでいたんです。そんな中での、初めてのコミケだったんです。

 偶然、隣が『デンキ街の本屋さん』(KADOKAWA)の水あさと先生のサークルで、場所を間違えて段ボールを開けて設営しちゃったり、見本誌票を忘れちゃったり、土下座モンの迷惑をおかけしました。

123456
ページ上部へ戻る

配給映画