テレビ朝日『BG』木村拓哉が「スターじゃないのにスター・システム」の弊害がモロに……
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木村拓哉主演の『BG~身辺警護人~』(テレビ朝日系)も第6話。視聴率は14.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)と、あいかわらず安定しています。この程度の数字でテレ朝的にオッケーなのかどうかは微妙なんでしょうけど……。
それにしても、このドラマはもうほとんど物語の体をなしていません。キムタクひとりを際だたせるために周囲に記号的な人物を配置し、毎回用意されたキムタクの見せ場にたどり着くことだけを目的に脚本が作られていることは再三申し上げてきましたが、今回はキムタクに見せ場らしい見せ場もないし、事件らしい事件も起こってないし、何がやりたかったのかすら、よく見えない回でした。でも、頑張って振り返りましょうね。
(前回までのレビューはこちらから)
■スター不在のスター・システムが生む弊害
さて、「スター・システム」という言葉があります。Wikipediaには、「高い人気を持つ人物を起用し、その花形的人物がいることを大前提として作品制作やチーム編成、宣伝計画、さらには集客プランの立案などを総合的に行っていく方式の呼称。」との説明がありました。『BG』が、キムタクというアイコンを中心としたスター・システムによって制作されていることは、もはや疑いようもないでしょう。
今のキムタクが本来の意味でスターかどうかはさておくとして、ここまでの全話平均が14.5%くらいと“完全崩壊”に至らない程度には需要があることは確かです。物語的にヤバいくらい面白くないのに数字が残っているわけですから、この14.5%は純粋にキムタク人気とみていいのだと思います。企画として失敗しているわけではないのです。
問題なのは、そのスター・システムの中心となるべき主人公が、作品世界の中でスターではないことです。キムタクが演じる島崎章という人物は、サッカートップ選手のボディガードだったという華やかな経歴こそあるものの、ミスって失職した後は、女房に逃げられ、ひとり息子にはナメられ、なんか冴えない、パッとしない、頼りにならなそうなキャラクターが与えられています。そうした冴えない中年が時おり見せる冴えた頭脳や冴えたアクション、冴えたセリフを発することでギャップの魅力を生み出そうという意図で構築されているわけです。
このキャラ付け自体は、45歳になってアイドルグループを解散したばかりのキムタクにとって、特に不自然なものではありません。俳優としての新たな価値を模索しなければならない現状で、いろいろな役に挑んでみるのは必要なことだと思うし、キムタクの芝居そのものだって、そうしたオーダーに応えていると思います。
ただ、このキャラとドラマのシステムが、絶望的に食い合わせが悪いのです。
キムタクに見せ場を集中させなければいけない、キムタク以外を目立たせてはいけないので、あらゆるシーンやセリフはキムタクを引き立てるために用意されています。これが、見せ場の場面ではそれなりに機能するんですが、見せ場じゃない場面、いわゆる平場でキムタクが「冴えないよ」ということを表現するシークエンスになると、途端に機能不全に陥るんです。
普通に考えて、冴えないキムタクを表現しようと思ったら、ほかの人を冴えさせればいいわけです。SPの江口洋介でもいいし、同じ民間BGチームの斎藤工や菜々緒でもいい、誰かキムタク以外の人物に見せ場を与えて、キムタク以上の活躍をさせればいい。キムタクをいったん蚊帳の外に置いて、ほかの人が活躍して、最終的にキムタクがそれを上回る活躍をすればいい。
『BG』というドラマは、それすら許さないのです。1時間なら1時間、常に周囲はキムタクを引き立て続けなければならない。なぜか、そういう縛りの中で脚本が作られている。
そのため周囲は、キムタクが冴えない場面では「冴えないキムタク」の「冴えなさ」を引き立てなければなりません。おのずと、例えばSPの江口洋介、例えば毎回ゲストで登場するクライアント、そういう人たちが「民間なんか」「ボディガードなんか」とキムタクたちを見下す発言をすることになる。物語の流れと関係なく、無理やりそういうセリフを吐かせるので、江口や、今回でいえば子役の女の子が、単に頭と性格が悪いだけのキャラクターになってしまう。
システムとしてヨイショしまくってるのに、設定として見下されている。この矛盾が『BG』を、すごく気持ちの悪いドラマにしてしまっている原因だと思います。
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