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日刊サイゾー トップ  > リョナ・グロマンガ家・氏賀Y太

【ルポルタージュ】氏賀Y太 リョナ・グロとマンガに人生を全振りする男のスケッチ

 次に気づいたのは、高校生になりスプラッター映画を見た時だった。当時のスプラッター映画には、お約束のように血塗れの裸の女が登場するシーンがあった。それを初めて見た時に、また興奮を覚えた。

 これまで、エロマンガの枠でリョナ・グロを描いてきた氏賀だが、リョナ・グロで、一度たりとも勃起するような性的興奮を感じたことはない。

《私にとってその興奮は、街を歩いていたら、風が吹いてパンツが見えてしまったようなものなんです》

 勃起から射精へと至る興奮とは別の「とんでもないものを見てしまった」感覚。それが、氏賀のリョナ・グロ観。それを、マンガに描くに至ったきっかけは、もうひとつ。高校生の頃に読んだ、筒井康隆の小説『問題外科』(『最後の喫煙者』新潮社文庫、収録)だった。高校生らしく、筒井や星新一の作品を愛読していた氏賀は、この作品のインパクトに度肝を抜かれた。

『問題外科』は、ただ病院を舞台に2人の医師が遊びで看護婦を解体するだけの、不条理でグロテスクな作品。

《自分は、その影響から逃れることはできなかった……》

 だから、最初にグロマンガを描こうと思った時に、頭に浮かんだのは『問題外科』をモチーフに、その先へといく展開。学校を舞台に授業で少女が解体され、生徒たちに食べられていくという物語だった。マンガのことなど何もわかっていないオバサンに、訳知り顔でアドバイスされたことへのフラストレーション。そのほか、日常の中で身体の中に蓄積されていく<毒>のようなものを作品に叩きつけた。

《世の中、毒にも薬にもならないマンガが多すぎる……だから、自分は毒になってやるよ……そう思って描いたのです》

 出来上がった作品は、同人誌で発表した。同人誌の表紙に『毒どく』とタイトルを刻んだ。

 最初は、ずっと続けるつもりはなかった。その時あったのは反発心だった。ホラーマンガやスプラッター映画のような立ち位置で、筒井康隆のグロテスクな作品のようなものを描きたいと思っていた。エロマンガを描いている気持ちは、かりそめもなかった。いずれ一般誌で描こうと思っていた。今では当たり前のことだが、当時はまだ、エロマンガから一般作品へと舞台を移した描き手が「エロマンガ家のくせに……」と、揶揄される時代だった。自分が描いているのは、グロ。エロは描きたくないけど、グロならいくらでも描きたい。それに、グロマンガなら、いくら描いても烙印を押されることはないだろう……そう思って、次々と作品を描き続けた。でも、同人誌に描くだけでは満足できるはずもなかった。同人誌は未完成の作品であるというスタンスは、この時から一貫していた。

《出版社は、販売して採算が取れる商品と判断して出版しているじゃないですか。でも、同人誌は、作者が出そうと思えば、いつでも、どんなものでも出せますよね。なんでしょう……誰かに認められる段階にならないと、バイオグラフィーに加えてはだめだろうと思っています》

 だから、いくらグロマンガを描いても、発表の場が同人誌である限り、未完成の作品原稿が積もっていくだけ。プロのマンガ家として、どうやって描いていこう。悩みに手を差し伸べたのは、その時には妻になっていた、「コミックゲーメスト」の担当編集。

「だったら、いつも描いているグロマンガでやればいいじゃない」

 その一言で、迷いは吹き飛んだ。そうそう、それなら自分はネタが尽きない。そういうマンガ家人生もありだろう。

 ならば、具体的にどうしよう。そんなことを考えていたら、同人誌即売会に一人の男がやってきた。男は、桜桃書房と刷られた名刺を差し出して、言った。

「うちで描きませんか?」

 商業誌の氏賀Y太が誕生した。

 * * *

 最初の作品掲載の場として与えられたのは、アンソロジー「生贄市場」シリーズだった。月1冊のペースで刊行されるエログロ作品ばかりを集めたもの。全力で次々と作品を描いた。でも、少し困ったことがあった。掲載作の性質上、何がしかの形でセックスシーンが求められた。

《リョナの場合、表現がエロ。だから、セックスシーンは蛇足だと思っているんです》

 それでも、プロとしての矜恃で全力を注いで描いた。そうしていると、また別の出版社から声がかかった。三和出版の月刊誌「フラミンゴ」だ。エロマンガ雑誌でありながら、掲載作の大半はニッチな作品。「エロマンガ界の『ガロ』」とも呼ばれていた雑誌は、氏賀にとってぴったりの舞台。むしろ「なんで、自分には声がかからないのか」と、思っていた雑誌。今度の依頼は、ずっとシンプル。「作家の好きなものを描いて」というのが、編集方針だったのだ。もう、読者の性的興奮なんて考えなくてもいい。

《面白いものを描こうという思いだけ。読者がヌケようがヌケまいが興味ない。ただ好きなものだけを描き続けていました……》

 ホットドックを買いに来た女子高生が、カラシ漬けにされて死ぬ短編。謎のウイルスで少女が血塗れとなり、バンデミックによる世界滅亡を予感させる連作……。

 21世紀に入る頃から、氏賀には仕事の依頼が次々と舞い込んだ。単行本も続々発売された。好き嫌いにかかわらず、エロマンガに親しむ人々は氏賀Y太の名前を知ることになった。

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