大宮ソープランド火災の犠牲者“実名報道”に店舗関係者が激怒「警察やテレビ局、新聞社に憤りがあります」
#週刊誌 #元木昌彦 #週刊誌スクープ大賞
文春のワイドのひとつだが、明石家さんまの爛れた女性関係について書いている。
還暦を2つ過ぎても、なかなか女性関係はにぎやかだそうだ。秋には加藤綾子とのNYデートが女性セブンで報じられた。加藤のほうは交際を全否定したが。
キャバクラも大好きだそうだ。
「いつも大勢の後輩芸人を引き連れて店に来てくれますが、さんまさんの元気の秘訣は、とにかくエロく楽しむこと。お酒が入ると『あれ、あるんか?』と従業員に命令。全長三十五センチほどの電気マッサージ器を持ってこさせて、女の子たちの反応を楽しむんです。食事のときも『お前、この野菜スティックをエッチな感じで食べてみろ』と口に持っていく。女の子全員に本指名や場内指名を入れてくれるし、一晩で最低百万円は使ってくれる。気前がいいから女の子に嫌われることはありません」(都内のキャバクラ関係者)
そりゃ、百万円も使えば、私だって喜ぶ。たけしやタモリに比べて、外へ出ていくタイプのようだ。
一夜妻のA子が、60を超えると一人では寂しいと、家に来いと誘われると話している。
会うたびに、「俺の子を産んでくれ、マンションも借りたる」というので、子どもが生まれたら養育費いくらくれると聞くと、月30万円だといったそうだ。
意外に渋ちんやな。さんまのポリシーは、エッチの対価としてのカネは絶対払わないということだそうだ。その代わり、店ではカネは使う。
元妻の大竹しのぶは「婦人公論」5月号で、「男性経験は30人以上」と告白していたが、いやはや、どちらもすこぶる「性豪」のようである。
ところで、私がハワイにいる間に大宮のソープランドで大火事があったそうだ。
だいぶ昔になるが、まだ元気だった芸能レポーターの梨元勝と大宮のトルコ風呂(当時はそういっていた)で遊んだことがある。
彼は確か、おじいちゃんと大宮で暮らしていたと記憶している。その頃は、トルコでひとっ風呂浴びて、それから呑むということがよくあった。その頃の大宮はまだ田舎だった。
12月14日、さいたま市大宮区のソープランド「KAWAII大宮」が全焼し、12人が死傷した。そのうち、従業員の女性2人と男性客2人が、一酸化炭素中毒で死亡したそうだ。
大宮駅東口から北へ300メートルほど進むと、突然現れるソープ街は、「大宮北銀座」、通称キタギンと呼ばれるエリアだという。戦前の赤線時代から営業を続け、20軒近いソープランドが軒をつらねる。
ここだったかな梨元と遊んだのは。
障がい者収容施設で多くの障がい者が殺されても名前を公表しなかった警察が、今度は死亡した人の実名を発表したという。
NHKや産経新聞は3人の実名を報道した。それによって取材陣が押しかけたのだ。
父親にAさん(42歳)の名前が公表されたことをどう思いますかと聞くと、「どこが名前を出した?」と怒ったという。それはそうだろう。
警察がメディアに公表したのですというと、「内緒にしとけって言ったんだけど……。いずれにしても取材は受けない」と断った。
死んだ4人は、黒焦げで、身元がわかるのは時間がかかるだろうといわれていたが、3人は意外に早く判明したようだ。
女性2人の身元も判明した。だが、このケースで実名を公表する必要があったのだろうか。Aは、好青年で礼儀正しい人だったと近隣の住民が現代に答えている。
Aは命を落としてしまった被害者で、なんの落ち度もないのに、ソープランドに行っていたことが、家族どころか全国の人に知られてしまったのだ。
さらにソープで働いていたことが満天下に知られてしまった2人の女性は、セカンドレイプのようなものではないか。「KAWAII」の関係者がこう憤慨する。
「実名を出した警察やテレビ局、新聞社に憤りがあります。女の子の家族が何を思うのか。借金を抱えて短期で働く子もいるんです。会社勤めもいれば、主婦だっている。家族には働いていることを伏せているのは当然のことでしょう」
年の暮れといえば、私にもこんな経験がある。当時、火曜日の放火魔というのがいて、トルコなどにも火をつけて、新橋のトルコが大火になり、上から消防のはしご車で降りて来るトルコ嬢や客をテレビカメラが映し、ニュースで流れて大きな話題になっていた。
私は、その年の暮れに、新宿のトルコへ友人たちと入り、しばらくすると、上のボイラー室から火が出て、下にいる私たちの部屋にも煙が入ってきた。
トルコ嬢が「火事です。逃げて」というので、慌てて服を着て下に降りたが、案の定、ビルの周りは消防車とやじ馬で埋まっていた。
そのまま出れば、テレビカメラに映され、ニュースになるのは間違いない。そこで一計を案じ、後ろ向きで、「トルコが火事だそうだ、どこだどこだ」と大声で叫びながら出て行った。
幸い、その日の昼・夜のニュースでは、火災の話はやっていたが、私の姿は出ていなかった。数日後、その友だちと飲み、「よかったな」と杯を交わした。不謹慎だが、懐かしい思い出である。
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