性暴力を、政治ゲームの道具にするべきではない。立憲民主党議員のセクハラ・強制わいせつ報道への反応に覚えた疑問
10月22日投開票が行われた第48回衆議院議員総選挙は、自民党が解散前と同じ294議席、公明党が5議席減らした29議席、自公あわせて3分の2議席以上を獲得するという結果となった。候補を擁立せず希望の党と合流する方針をとった民進党から離れ、新党として選挙に挑んだ立憲民主党は15議席から55議席と躍進したが、その他の野党は総じて議席数を減らしている。
10月31日には、8月に行われた内閣改造で任意された各閣僚が再任される形で第4次安倍内閣が発足する。公示前から混沌としていた政局は、野党の勢力図に変化があったのみで、結局のところ選挙前と状況はほとんど変わっていない。改めて、何のための選挙だったのだろうか、という疑問が残る。
興奮冷めやらぬ中、『週刊文春』が、選挙が終わるタイミングを狙い撃ちするかのように、二人の議員に関する記事を掲載した。ともに立憲民主党に所属する議員で、内容も女性に対する性暴力疑惑という共通点がある。
ひとつは、立憲民主党で比例当選した新人・青山雅幸氏が、今年の夏まで秘書として勤めていた女性に対してセクシュアル/ハラスメントを行ったという記事(立憲民主党・青山雅幸議員の“セクハラ”を秘書が告発)。もうひとつは、やはり比例当選を果たした初鹿明博氏が2015年5月に、支援者の女性にキスを迫るなど、強制わいせつを働いた疑惑を報じる記事だ(立憲民主党・初鹿議員に強制わいせつ疑惑)。
青山・初鹿氏ともに、週刊文春の取材に対して事実関係を否定しているが、青山氏は、無期限の当院資格停止処分と特別国会での会派入りを認めない、という方針が立憲民主党からくだされた。去年も女性をラブホテルに連れ込もうとし、拒否される様子を『週刊新潮』に報じられていた初鹿氏については、10月31日時点で処分は考えられていないと報じられている。
疑惑内容については『週刊文春』の報道を参照いただくとして、本稿では、性暴力よりも政治ゲームを何より優先するような態度への疑問を呈したい。
wezzyで繰り返し言及してきたように、性暴力は別の問題にすり替えられることが多々ある。最近では、映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタイン氏による性暴力、セクシュアル・ハラスメントが多数の女優、モデル、スタッフから告発された件について、『バイキング』『ワイドナショー』(ともにフジテレビ系)が、「枕営業もある」と被害を軽視し、エンタメ的な消費を行っていることを記事にした。
・ワインスタインの性的暴行を「女優が誘う枕営業もあるのに」と軽んじる『バイキング』の異常と、バラエティ番組のエンタメ的売春消費について
・志村けんが共演女性にセクハラする理由と、権力者側が持つべき意識
痴漢被害よりも、痴漢冤罪ばかり問題視するような態度も、これと同様だろう。
・女性の痴漢被害を笑い、男性の被害者意識だけを叫ぶ「男性のための痴漢対策ワークショップ」のおぞましさ
これらはすべて、性被害の問題を直視する前に、論点をすり替えるという態度だ。「すり替える」という意識すらない、つまりそもそも性被害の問題を、問題だと考えていないのではないか、と邪推したくなるほど頻繁にみられる。
今回の立憲民主党の所属議員の報道についても、おそらく立憲民主党に親和性があるのであろうという人からも、反対に立憲民主党に反感を持っているんだろうと思われる人からも、同様の態度が見られた。
前者の一部は本報道に対してこんなツイートをしていたり、あるいはリツイートをしたりしている。
「どうしてこのタイミングで報道をするのか」「自民党にもこうした議員はいるのに、なぜ立憲民主党を狙い撃ちにするのか」。
後者の一部はこういう。
「ざまあ」「自民党議員だったらもっとやっていたはず。追及が甘い」。
まずおさえていきたいことは、両議員の報道はあくまで疑惑であり、今後の検証を待たなければいけないということ。また報道に対して、何らかの力が働いているのではないか、といった安易な陰謀論に飛びつくことも避けるべきだということだ。なぜこのタイミングで報道されたのか、という疑問を持つことはできる。それでも、それぞれの立場が確定する、選挙終了後を待たなければいけなかった可能性もあるし、もし『週刊文春』が立憲民主党の足を引っ張る意図があったのだとしたら、むしろ投票日の前に報道したほうが良かっただろう。解釈は様々可能ではあるがゆえに、安易な陰謀論に飛びつくべきではない。
いずれにしても、こうした態度は、政敵のことばかり意識していて、被害にあったとされる女性のことをまったく軽んじているのではないか。女性たちの告発が事実であるならば、何より考えなければいけないのは告発した女性たちのことのはずだ。そうまでして、性暴力の問題を軽視したいのだろうか。思い返せば、ジャーナリストの伊藤詩織氏が、同じくジャーナリストの山口敬之氏からのレイプ被害を告発した際にも、同様の態度がみられた。
こうして性暴力の問題は、論点がすり替えられ、後回しにされていく。性暴力も、そして被害を告発女性も、何かのための道具ではない。真っ先に考えなければいけない問題はなんのか、どの地点から考えるのかが、その人の態度を示している。
(wezzy編集部)
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