バブル時代、東京から脱出を志す人々がいた──1989年「SPA!」地方会社の『ゆとり生活』を読む
#雑誌 #出版 #昼間たかしの「100人にしかわからない本千冊」
何かと地方取材に行く機会が多い、今日この頃。どこの地方でも必ず、都会の喧噪を逃れて移住してきた人には出会うものである。
最近は、地方の自治体が移住者を求めて、広く門戸を開く、いうケースも増えてきた。けれども、移住には覚悟が必要なもの。単に、都会に疲れて逃げてきたような人に、地方の狭い人間関係やしきたりは厳しい。そうして、せっかく移住した地域を恨んで姿を消す人も絶えない。
これだけさまざまな情報が飛び交い、移住のために最低限必要なことがわかっている時代であるにもかかわらず。
現代とは少々違う意識で「なんだかよくわからないが、とにかく忙しい」そんな会社勤めが当たり前だったバブル時代。残業に疲れても、飲み歩くことこそ当時の美学。現代よりも集団行動が強いられていた時代ゆえに、そこに疲弊する人も多かった。
朝から晩まで、仕事に接待にぐるぐる回り、同僚と飲んでは午前様。「24時間戦えますか」というリゲインのCMが流行したりもしたけれど、サラリーマンは疲れていた。
そうした中で入ってくるのが、海外、とりわけヨーロッパの情報である。ヨーロッパでは、もっと休暇が長く、サラリーマンでも優雅にバカンスを楽しむのが当たり前らしい。
そうした優雅な実例として、イタリア人的な生活や文化が理想とされたことを覚えている人は少ない(なお、バブル時代。もっともイタリア的な日本人とされたのが石田純一である)。
この好景気が続けば、日本にもやがてバカンス文化が定着する。そんな分析もされていたけれど、それはいつのことやらわかっていなかった。
だが、もう都会に我慢できなくなった人たちは、早々と地方へと移住していったのである。
「SPA!」(扶桑社)1989年8月30日号掲載の「地方会社の『ゆとり生活』に心ひかれる」は、地方の企業で働きながら、都会とは違い優雅に暮らす人々の姿を紹介している。
もう地方にもバブルの恩恵が普及していた時代である。地方だからといって賃金が低いといったデメリットも顕在化はしていなかった。そして、バブルの恩恵で儲かる企業の福利厚生は、地方でもやっぱりすごかった。
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