【島田洋七“がばい”独占手記/最終回】さんま、タモリ、紳助……天才が語る天才が天才たるゆえん
#お笑い #島田洋七 #島田洋七"がばい"独占手記
『北野演芸館』(TBS系)見たけど、温かい。温かいから芸人は自由にやっている。その点、なんとかグランプリね、審査員席に文化人やわけのわからないアイドルが座って偉そうに言ってるけど、アンタに言われたくないですよ。
お笑いの審査員はお笑いがやらな。相撲を見に行って、審判席に野球選手が座っていますか。プロ野球の実況中継でも歌手が解説に加わって「ヘタな捕り方ですね」と言ったら、怒りたくなるでしょ。
で、何をやりたいかというと、大人のトークショーですね。ゲストで一番当たっている人を呼んでもいいし、何十年も前に当たった人も呼んでいい。いろんな話をして懐かしいと悲しますんじゃなくて、笑かしたい。ショーですね。ゲストひとりを笑かす。例えば、黒柳徹子さんや美輪明宏さんみたいな知的な人から、あまり笑うイメージのない沢尻エリカさんなどでも自信がありますよ。
たけしにも言われたけど、ボクの人生はビックリするくらい変化がある。それに、何もなくて生まれてきたから全部捨てても気にならん。地位とかもいらんし。よくテレビで見てますよと言われても、うれしくない。もうこだわっとらんもん。
ただ、最近になって、お笑いはこうじゃないかと思い始めた。紳助がいなくなったからですよ、何か物足らん。若手の芸人たちが食べる番組をやっているでしょ。本心じゃないと思う。テレビ局は強いから、こういう番組をやりたいと言われたら断れない。仕方なくやっているかもね。本当は違うことで笑かしたいんだと思う。
昔、『オレたちひょうきん族』に出演していたんですよ。プロデューサーが「実力がある人は残るのよ。ない人は消えるのよ」と言ったんです。ボクに直接言わんとマネジャーに言えと伝えたんで、ケンカして降りたんです。ヘタということですもん。
最後に電話がかかってきて「洋七さん、もう1回、出てください」と言ってきましたよ。世の中、ケンカはある。でも、2~3分で忘れる。ボクはそんなに気にしない。
今はただ、面白い番組を作りたいなと思ってます。
(企画・構成=本多圭)
●しまだ・ようしち
1950年、広島県生まれ。本名・徳永昭広。広陵高校出身。1975年に島田洋八と漫才コンビ「B&B」を結成し、ツービート、紳助・竜介とともに「漫才ブーム」を牽引した。
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