【島田洋七“がばい”独占手記/最終回】さんま、タモリ、紳助……天才が語る天才が天才たるゆえん
#お笑い #島田洋七 #島田洋七"がばい"独占手記
紳助にはもう一度、芸能界に戻ってきてほしい。あそこまで作り上げたネタで人を笑わせているんですよ。あんなヤツおらん。俺とは上下関係ですから、俺の前では「ハイ」としか言いませんけど、すごいヤツですよ。
うちのカミさんが日本テレビの『行列のできる法律相談所』に出た時も、カミさんを「姉さん」、ボクには「兄さん」。「兄さん、食事に行きましょう、先輩なんやからおごってくださいよ」。紳助のほうが稼いでいてもそうです。かわいいですよ。あいつの性格は子どもっぽいし、変わりませんよ。
あれから1年間、誰が紳助の代わりをやるのかテレビを見てましたが、誰もおらん。最近になって誰かが見つかった。それは私です、アハハ。冗談ですよ。誰かがしゃべらなあかん。年寄りから子どもまで、みんなにわかりやすい番組ができればいいですね。
俺らは物のない時代に生まれてきて、ネタが豊富。今の30代の若手は裕福な時代に生まれてきてるから、ネタがないのかなぁ。番組でやっていることは、楽屋受けが多い。だから、大人が若手の芸人を見ない。わからないからですよ。自分たちだけがどこの派閥やとか、この間、誰それとメシを食いに行ったとか言われても。
特に漫才師は基本コンビでしょ。それぞれの名前を知っている大人は少ないですよ。先日、某売れっ子漫才師に新幹線で会ったんですよ。コンビ名は知っているけど、個人はどっちがどっちかわかりませんよ。芸を披露する、寄席番組がないからですよ。寄席番組を作ろうとしたら、ものすごい数のネタがいる。年に1回くらいならいいけど、1週間に1度だったら、それだけのネタをやれる芸人はいませんよ。
演歌のヒット曲が少なくなってほかのものに変わっていくみたいなもんで、今はお笑いも変わっていっている。最近、第2次お笑いブームが終わりだといわれているけど、絶対、なんかできたら違うもんが来る。
漫才ブームで売れている時に一瞬、このまま行くと思いましたよ。でも、マスコミが最近、漫才は面白くないと言ったらホントに面白くなくなっていたことに気づく。マスコミのほうが早いですよ。マスコミはお客さん目線や視聴者目線で書くから当たってますよ。
誰か紳助に司会をやらせて――。
今の若手のお笑いは気の毒。ボクなんか、がばいばあちゃんに育てられたから、62歳まで生きてこられた。今の時代だからこそ70歳の人の話を聞かなきゃダメですよ。
ばあちゃんの家に預けられてよかったですよ。あんだけお金がなくて、7人も子どもがいて、子どもが大きくなったと思ったら私を預かって、平気だもん。普通だったら、7人育て上げたら、孫を預かるのは嫌だと思うでしょ。でも、うちのばあちゃんは7人も8人も一緒だから連れてこいと。それで広島から母親に佐賀に連れていかれた。明るいばあちゃんでね。学校から帰って、腹へったと言うと、気のせいやと言うんです。
私も子どもだからそうかなと思うでしょ。それでテレビもラジオもないから、外に遊びにいこうとすると、外に遊びにいくと腹がへると言う。なら、どうしたらいいの? と聞く。寝なさい。寝なさいといってもまだ夕方の4時半。冬なんか日が落ちるのが早いから4時半に寝てましたよ。なかなか、朝が来ない。寝ても寝ても夜中、寝るのは力仕事でしたよ。
やっと朝が来て、ばあちゃん、朝ご飯と言うと、昨日食べたやないかと。素晴らしいばあちゃんでしたよ。普通だったら悲しい顔をして孫に対して今日はご飯がないと言う。つらくなりますよ。ばあちゃんは全部、笑いながらでしたね。
あとは学校に行って、給食ですよ。当時の給食はまずかったらしい。とくに脱脂粉乳のミルク。クラスの55人の半数は飲まない。そのおかげで余っていたミルクを7~8人分飲んでいた。昔はわかりやすかった、ガリガリの子は貧乏人の子どもだった。割と裕福な子どもはふっくらしていた。俺は貧乏人の子どもだけどふっくら、反比例していた。ミルクのおかげです。近所歩いてもよく、いいとこの子かなと言われた。だから、楽しかった。
お金がないところに幸せがあるとばあちゃんは言ってたけど、ほんまでっせ。8年間、お世話になって、母ちゃんのところに帰れる日が来て、ばあちゃんに俺みたいなアホはこれから人生どうなるのかと聞いたら、ものすごく笑いながら、アホはそんなことに気づかないから大丈夫と言われた。気づかないままの62歳。
ばあちゃんに育てられたからこそ、人を笑かすことができるんやと思いますわ。
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