『過保護のカホコ』最終回のハッピーエンドに隠された「怨嗟と呪い」の物語を垣間見る
#ドラマ #日本テレビ #高畑充希 #どらまっ子AKIちゃん #どらまっ子 #過保護のカホコ
高畑充希主演の『過保護のカホコ』(日本テレビ系)も最終回。視聴率は14.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と過去最高を記録。有終の美を飾りました。
さて、このレビューでは本作で描かれる家族愛を、主に「不穏だ呪いだ」と書き続けてきました。脚本の遊川和彦さんが、カホコやママの異常な家族依存を、若干の悪意を込めてデフォルメしていると思っていたのです。
しかし、どうやらそうでもなかったのかな、というのが最終回を見終えた感触でした。というわけで、振り返りです。どう受け取ったらいいのかわからないまま書き始めてます。
病気で亡くなったばあば(三田佳子)から「この家族を守って」と遺言されたカホコ(高畑充希)は、さっそく親戚たちの問題解決に乗り出します。
やもめとなったじいじ(西岡徳馬)は、カホコに「ばあばに会いに行ってくる、もう探さないでくれ」と言い残して姿を消します。で、どこにいたかと思えば、実家の庭の片隅に身を隠していました。聞けば、結婚したばかりのころ、ばあばとよくかくれんぼをした場所なのだそうです。
「俺はずっとここにいる」と言い張るじいじに、カホコが何やら美辞麗句を並べると、態度が一変。あっという間に立ち直りました。
続いて、先日離婚届を提出したばかりの衛おじちゃん(佐藤二朗)と、ママ(黒木瞳)の妹・環ちゃん(中島ひろ子)の問題も、カホコが「離れてほしくない、一緒にいてほしい、いるべきだ!」と主張すると、あっさり翻意。衛おじちゃんは涙ながらに「俺は君とずっと一緒にいたい、ここにいるみんなとも」とか言い出しました。
このあたりからして、「家族だから」という理由だけで個人が集団に取り込まれていくように見えて、薄気味悪かったんです。それぞれが自分の個人的な悩みと正面から向き合うことを放棄している、つまりは個人でなくなっていく、まるで「家族愛」という毒に感染して人ならざる者になっていくように見える。
なぜなら、カホコが唱える「家族だから一緒にいるべき」という思想は、カホコが個人的な社会経験によって抱いたものではないからです。ママに「家族が常に一緒にいるのは当たり前」と生涯にわたって刷りこまれた上に、ばあばに「家族を守れ」と言い残されたから、という理由だけで、カホコは「家族だから一緒にいるべき」と主張している。以前、従妹の糸ちゃん(久保田紗友)に「家族なんて大嫌い! 気持ち悪い! 特にカホコが嫌い!」と面罵されたことがありましたが、カホコはただびっくりして泣いただけで、糸ちゃんの気持ちを慮ることは一度もありませんでした。糸ちゃんという一個人の心情に寄り添おうとはしませんでした。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事