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日刊サイゾー トップ > カルチャー  > 「カストリ書房」に見る郷愁

なぜ、人はそこに集うのか? 新店舗には喫茶ルームもできた「カストリ書房」に、サウダーデを見た

■「豊かな時代」への憧れとは違う魅力

 取材を終え、店を出て昼間から「お遊びですか?」と声をかけられる吉原を、とぼとぼと歩きながら考えた。取材の中で、これはという言葉を求めつつも、出なかったのである。

 私自身が、納得することのできる、カストリ書房に下は中学生から多くの女性たちが集う理由である。客は北海道から沖縄まで、全国各地からやってくるという。それも「7割くらいはビギナー」だという。そして「多くのメディアから聞かれる」という客のタイプ。サブカル的な興味を持っている人よりも、実に「普通のお客さんが多い」と、渡辺は言った。そして、いくつかの取材でも答えている、自分の考えを述べるのであった。

 不況の続く現代にあって、豊かで元気のあった時代への憧れ。

 果たして本当にそれだけなのだろうか。そうだとするならば、なぜ、その中で「ビギナー」は、カストリ書房を訪れるのだろうか。

 取材の日、私は幾分早めに事務所を出て、銀座駅から日比谷線に乗った。何年かぶりに降りた南千住駅前は、記憶の中にあるものとはまったく違っていた。

 駅前にそびえるのはショッピングモールを備えた近代的な高層マンション。そこから、山谷を通り抜けて吉原へと向かう道は、記憶の中にあるものとまったく違っていた。

 最初にこの街を訪れたのは、もう20年以上も前のことである。話に聞く「金町戦」の恐怖はすでに薄れていたけれども、緊張感は確かにあった。城北労働・福祉センター前で行われる「越年・越冬闘争」。それは、単なる「炊き出し」とは異なる警察権力や、あれやこれやとの対峙戦。あの、ピンと張り詰めた空気。

 ドヤ街ならではの独特の雰囲気はない。明治通りに沿ってマンションが建ち、バックパッカーがゴロゴロと車輪の付いたトランクを押している音が目立つ。賑わっていた印象のある、いろは会商店街も歩く人の姿すら、あまり見かけなかった。間もなく取り壊しが決まっているアーケードに掲げられた「あしたのジョーのふるさと」という幕が、余計に寂しさを煽っているように見えた。

なぜ、人はそこに集うのか? 新店舗には喫茶ルームもできた「カストリ書房」に、サウダーデを見たの画像4

 変わっていくのは、ここに限ったことではない。東京は2020年のオリンピックに向けて、急ピッチで姿を変えている。東京に限らず、日本全国で20世紀の姿は、次第に失われている。

 そんな、凡庸な21世紀的なものへと、変わりゆく街の中で暮らす人々は、どこかで「ついていけなさ」を感じているのかも知れない。

 でも、そうした中で、なぜ多くの人々が、遊郭や赤線。と、いうよりはカストリ書房に惹かれるのか。

 その理由は、まったくわからなかった。

 ふと思いついて、カストリ書房のイベントにも幾度か出かけているという知人の女性を呼び出した。

 なぜ、興味を惹かれるのか尋ねた時に、彼女はこういった。

「カストリ書房の人、Twitterが格段に面白いよね」

「え、そうなの?」

 私は、ポケットからiPhoneを取り出して、カストリ書房のTwitterを開いた。

「違う、そっちじゃない。こっち!」

 そういって彼女が自分のiPhoneで見せてくれたのは「遊郭部」というアカウントだった。なるほど、いうなればこちらが個人アカウントかと、すぐに理解した。

「とにかく、センスが違うからね」

 いわれるまでもなく、私はこれまでのツイートを追ってみた。

 写真も言葉も、センスが独特で、短い言葉の中に研ぎ澄まされた情念があった。

「平成を超え、次の元号を跨ぐ無職」

「ビールグラスに注がれたアイスコーヒーを出す店は信頼できる」

 そして、ふっと手が止まった。

「プレシャスなランチにするか」

 そう記されたツイートには、いかにもサッシ戸を開くと、タバコをふかしながら新聞を読んでいたオヤジが「いらっしゃい!」と、厨房に立つような中華料理屋の写真が添えられていた。

 なぜ、カストリ出版の本が話題となり、大勢の人がカストリ書房へと足を運ぶのか。その疑問が、一瞬で氷解していくのを感じた。

(取材・文=昼間たかし)

最終更新:2017/09/16 18:00
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