芸能人の“ぶっちゃけ”だけじゃない! 『しくじり先生』が見つけたアスリート・エピソードという鉱脈
#スポーツ #サッカー #プロ野球 #熱血!スポーツ野郎
ここから考えられるのは、『しくじり先生』に限らず、いま番組づくりをする上では、出演者の中にこのくらいの比率でアスリート枠が必要、という示唆でもあるのではないだろうか? それほど、スポーツ選手たちはエピソードの宝庫だし、時に飛び道具として番組にアクセントを加えることができる存在になっている。
そしてあらためて思うのは、アスリートほど、日々「しくじり」と向き合う職業はない、ということ。もちろん、ひとつの負け、三振やエラーといったミスをすべて「しくじり」とまとめてしまうのは乱暴だが、日々の試合や練習で何度も「失敗」を重ね、どうすれば「失敗しないか」に腐心する毎日を過ごしている。
結果として、日常的にさまざまなプレッシャーと向き合うことで、ネジが飛んでしまったり、感覚が麻痺してしまったりすることもあるだろう。だからこそ、競技生活を終えたあと、そのギャップによってしくじってしまう人が多いのではないだろうか。
だが、この「ネジが飛んでいること」「感覚が麻痺していること」こそが、ある種、アスリートの魅力、ともいえる。常軌を逸した毎日を過ごすからこそ、見る者を驚かすパフォーマンスを生み出せるのだろうし、常人が想像もできない体験を重ねているからこそ、彼らの発言は思わぬ含蓄を帯びることがあるのだ。
最近、アスリートにも「品行方正」を求める向きが多いが、品行方正では世界で伍して戦うことなんてできないのではないか。『しくじり先生』を見ると、あらためてそう感じてしまう。いや、もちろん、品行方正で世界一になることができれば、それに越したことはないが……。
それにしても、野球選手が多かったとはいえ、よくぞこれほど多種多様な競技から“先生”を引っ張ってきたなぁと、感心してしまう。
スポーツを愛する層の中には、アスリートをバラエティで起用することに拒否反応を示す人も少なからず存在する。だが、こうした番組をキッカケに競技や選手を知り、応援したくなるケースもきっと多いはず。結果としてそれは、アスリートの支援や競技普及にもつながっていくのではないだろうか。
(文=オグマナオト)
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