住むならどっち!? 多摩と湾岸で迷ったバブル時代と80年代雑誌の“ユルさ”
#雑誌 #出版 #昼間たかしの「100人にしかわからない本千冊」
タイトルで「どっち」と書いたけれども21世紀の今、ほぼ決着がついているのは、ご存じの通り。
多摩地域のボロ負けである。
その名前の通り、まるで神殿のような街が建設されたパルテノン多摩は陳腐なものになってしまった。そして、高度成長期以降、多くの人々が夢を抱いて住んだ多摩ニュータウンは、もはや完全なオールドタウン。歩道と車道の完全分離のように考え抜かれた都市計画も、いざやってみると夜道が危ないなどの危険ばかりを生み出した。
片や湾岸地域は、タワーマンションが乱立する完全な未来都市。バブル時代は倉庫を改造したウォーターフロントの店が繁盛していた勝どきや芝浦の風景は、ガラリと変わった。とりわけ勝どきの変貌は著しい。低層団地や倉庫群は完全に取り壊されて、すべてタワーマンションへと生まれ変わった。今後、マンションの価格は下落する=今はバブルといわれはするけども、繁栄を謳歌していることに間違いはない。
そんな多摩と湾岸と、どちらが優れているのか混沌とした時期の記事。「週刊プレイボーイ」(集英社)1989年9月19日号「東京を考える特集 のっぺり東京のふたつの顔『多摩VS湾岸』」が、今回のお題である。
この記事、どちらに住もうかと迷う、子どもも生まれたばかりの若夫婦の対話形式で綴られていく。なんだけれども、まず設定が少々、トンでいる。
「ボクがいま住んでいるのは足立区の綾瀬です。あの『幼女誘拐殺人事件』で影が薄くなっちゃったけど、『女子高生リンチ殺人事件』が起きたあの“狂気の街”綾瀬なのです」
いやいや、現代の雑誌、あるいはネット記事で書いたら、即座に赤字を入れられそうな一文である。この不謹慎なユルさこそが80年代。これとは別だが、雑誌のグルメレポで「原爆が落ちたような美味さ」という、酷い文句を見出しでどーんと書いても「ああ、そんな衝撃的な美味さなのだなあ」程度で受け止めてくれるのが80年代なのである。これも、アゲアゲムードの中での余裕ということなのか。
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