ポケモン映画20周年記念作『キミにきめた!』に隠された、初代脚本家・首藤剛志の“幻の最終回”
#オワリカラ #偏愛文化探訪記
「自己存在を失わない」者は、「他者との共存」を選択できるんじゃないか。これもまた、首藤さんがポケモンシリーズに込めた想いの一つでもある。実は、ポケモンアニメは放送開始の段階では1年、そのあとも長くとも4年で終わる予定で、首藤さんはすでに最終回の構想を持っていた。
この『ミュウツーの逆襲』にも、幻の最終回へとつながる要素がちりばめられているという。このプロットは、いろいろなところに掲載されていると思うので、ここでは手短に話そう。
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ある日、「ポケモンと人間の共存は不可能」という結論に達した両者が対立し、大きな争いになっていく。ポケモン側のリーダーに担ぎ上げられたピカチュウは、サトシと共に戦いを止めようとするが事態は改善せず苦悩する。
そんな中、奮闘するのが、あのロケット団の3人だ。彼らの存在が、人間とポケモンにとっての「共存」の道標になり、さらにミュウツーも現れる。
ピカチュウ、ロケット団、ニャース、ミュウツー……みんなその葛藤を抱きながらそれでも「自己存在」を求めて旅を続けてきた。次第に彼らは「自己存在への問い」に答えを見いだしていく。
「自己存在のある限り、我々はどんな者たちとも共存できる」という答えを。
……年月がたち、老人になったサトシが過去のことを回想している。ピカチュウとの冒険の日々は、少年時代の幻想だった。
ポケモンたちは、少年時代のサトシの目を通して見ていた架空の存在だったのだ。翌朝、目を覚ましたサトシは、また少年の姿。しかし、その世界にポケモンはいない。今度は現実の世界で、自分を探し、他者との共存を目指す旅が始まるのだ。
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このプロットには、いつか虚構(ゲーム)の世界と別れ、現実へと回帰して自分の世界で一歩を踏み出してほしい、そしてその世界で「自己存在」と「他者との共存」を目指してほしいという首藤さんのメッセージが感じ取れる。
さらに、この幻の最終回のプロットを見ると、今回の『キミにきめた!』の中にいくつかのイメージが反映されているのがわかる。
特に、「老人になったサトシ=サトシのような服装の老人・ボン」「ポケモンのいない世界=マーシャドーによりサトシの見た夢(?)の世界」の2つは顕著だ。
しかし、映画ではこれらの意味合いが反転して使われているのも面白いところだ。首藤案では大人になりポケモンのいる世界に別れを告げている老人サトシだが、映画に登場するボンという老人はホウオウを20年間追いかけ続ける「ポケモンを卒業できない大人」なのである。
これは、首藤さんの言うところの「虚構の世界で夢に酔いしれている、外見だけは大人で心はいつまでも子ども」そのものである。
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